久しぶりに外に出てみると風の匂いが気持ちいい。


少し離れた家の庭先に桜が咲いていて、もう季節は春なんだと知った。


“サクラキレイだね“


懐かしい声が耳の中で蘇る。

あの人は今も元気だろうか?


自宅で仕事をするようになってから、外に出る機会を逃すようになっていた。


買い物も宅配してくれる。

必要な物はポチッ、ポチッとするだけで届いてしまう。

指定したBOXに入れてもらえば、誰に会わずとも生活用品が手に入る。


仕事に集中しやすい環境になればなるほど、外とも人間関係とも疎遠になっていた。


仕事で使う資料をネットで探したが見つからず、ようやく見つけたが店舗販売のみしかなかった。


他の資料はある。変わりになる資料はない。

意を決して、重い腰を上げ私は外に出る事にした。


久しぶりの外は何も変わらず、当たり前にそこに存在している。


そこに安心感を感じながら歩いていく。

たまには外に出ないといけないな…と自分に言い聞かせながら。


店舗販売のみの資料が置いてある店はそう遠くなかった。

電車に乗って2駅先にある。

駅からも離れていない。


全く行けないような地方だったら諦めていたけど、この距離ならと出掛ける気になれた。


春らしい陽気に所々で見かける桜や花々が綺麗でつい見惚れてしまう。


頭の中ではさっきと変わらずに。


“あの花もキレイだね“と思い出が蘇ってくる。


私の中にまだ彼女への想いが残っているらしい。


忙しさを理由に別れを選んだ恋人だった人は今は幸せにしているだろうか?


私は仕事と恋愛の両立が出来るほど器用じゃなかったから…。

別れを選ぶしか出来なかった。


でも時が経ち気持ちに余裕が出てくると、もっと上手くやれたんじゃないかと思えてくる。


スマホを取り出し画面を見る

あの頃の2人が今もそこで笑っている


どうしても変える事が出来なかった。


電車に揺られながら溜まりに溜まったメールを確認すると…

懐かしい名前を見つける


“私は友梨奈をずっと待ってるから“


理佐…。いつこんなメールを…。


別れた恋人、理佐からのメールの日付を確認すると半年以上も前の日付。

気づかなかった。

もう連絡なんか来ないと思っていたから。


どうする?メールで返信?

それとも電話する?

1人、心の中でオロオロしているうちに降りる駅に着く。


確か…この駅は理佐が住んでる駅!

私は資料を買いに行く目的を忘れて急いで駅から出る。


あたりを見回し、忘れてなんかいない道順をわざと確認する。

こっちでいいんだ、こっちだと心の中でぶつぶつと言いながら走る。


長らくこんなに速く動かされる事を忘れていた足はそう簡単には動いてくれず、心臓も落ち着いてはくれない。


それでもはやる気持ちは収まらず、必死で理佐の住む部屋へと走る。


このまま心臓が止まるんじゃないか?

明日は筋肉痛で苦しむだろうなと筋肉がパンパンになった足と息を切らせて部屋の前に立つ。


ここに今も理佐が住んでいるのだろうか?


呼吸が落ち着いてくると、頭は冷静に考え出す。

勢いで来ちゃったけど…

ええい、もうどうにでもなれ!


私はインターホンを押す。


シ〜ン反応がない。


もう一度、押してみる。


シ〜ン。やっぱりもういないか…。


がっくりと肩を落とし部屋から去ろうとすると、恐る恐る開けたようなドアの音。


私も恐る恐る振り返る


「友梨奈!」


そう呼んでくれた声は懐かしいから愛しいに変わっていく。


「理佐」


私が名前を呼び切る前に抱きつかれ、懐かしい匂いが鼻に入ってくる。

この感じ、理佐だ。ずっとずっと欲しかった感触。


「友梨奈…どうして」


半べそな声で理佐が聞いてくる。


「資料を買おうと外に出て、電車に乗って、メール久しぶりに見て、気づいて、読んで、居ても立ってもいられなくなって」


懐かしさと、愛しさと、緊張とで棒読みのセリフみたいな話し方になってしまう。


「無視されてた訳じゃなかったんだ」

「無視してた訳じゃなかったのよ」


緊張で変な言い方になってしまう。


「うん。今のでちゃんと伝わった」

「それなら良かった」


理佐が笑ってくれて嬉しくなる。

まだ気持ちがあの頃のままだと気づく。


「友梨奈がメールを読んで来てくれたって事は私は期待していいんだよね?」

「うん。私も理佐はあのメールの気持ちのままって期待していいんだよね?」


「うん!私は今も友梨奈が好き」

「私も忘れようとしたけど出来なかった」


理佐と別れてから私は外に出るのが嫌になったんだ。

幸せそうな人達を見るのも、理佐に似た人を見かけるのも嫌で、でもやり直して一緒にいれる余裕もなくて、そんな自分から隠れるように外に出ずに仕事に集中して、理佐を忘れる振りして生きてた。


でも忘れた日なんかなかった。

毎日、どこかしらで思い出して、会いたくて寂しくて、それを胸にしまう為に仕事に没頭して…

でも今は、今なら上手くやれる…はず。


「友梨奈…もう」


理佐が言い切る前に私は


「理佐、やり直そう。もう離したくないし、離れたくない」


そう告げる。


「うん…。そう言ってくれて嬉しい」


理佐を強く抱きしめる。

この感触はもう離したくない。


風が吹いて優しい香りが鼻に入る。


理佐と出会ったのも、好きになったのもこんな春の日だったな。


春は私に魔法をかけてくるみたいだ。

幸せになれる魔法を。



理佐と再会した日から私達は少しずつあの頃のようにまた恋人として時を重ねている。

そして、お互いの仕事や生活を考えて一緒に暮らす事に決めた。


今日はその引っ越しの日。


また風が優しい香りを運んでくる。

春はまた私に幸せの魔法をかけてくれた。


幸せな日々が始まる魔法を。




おわり