第六話 鳥居清長「濱屋 川岸の涼み」 | おじさんの気ままなブログ

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和田彩花 "浮世絵10話" が更新されました。



第六話 鳥居清長「濱屋 川岸の涼み」
http://asianbeat.com/ja/ukiyoe/006.html

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昔は人気もの、いまはちょっと地味な浮世絵師
 鳥居清長は、18世紀後半、江戸でとても人気の高い浮世絵師でした。
春信、歌麿、写楽、北斎、広重と合わせて浮世絵の六大絵師と呼ばれています。

 でも、ごめんなさい!
申し訳ないんですが、存在がちょっと地味じゃありませんか?
私も、浮世絵を勉強するようになるまで、清長のことを知りませんでした。
清長さん、ほんとうにごめんなさい!写楽は現代ではとっても有名なのに、浮世絵を勉強すると、当時は商業的にさほど成功したわけではないことがわかります。
でも、清長はその逆。
当時の評価が現代の知名度に直結するわけではないのを知るのも、美術史を勉強する楽しみのひとつです。

 西洋絵画なら、ゴッホやルソーがそうですよね。
生きていた当時はまったく陽の目を見ることがなかったのに、いまでは名画の代表とされています。
写楽は、そんなひとりだったわけですよね。
存在がちょっと地味などと、清長ファンに怒られてしまいそうなことを書いてしまいましたが、いったん知ると、その絵がとても気になってきます。
そんなふうに気になりだした清長の作品でも、私のお気に入りがこの「濱屋 川岸の涼み」です。


絵の物語を妄想する
 この絵はストーリーがありますよね。
私は絵を観ながら、物語を妄想するのが大好きなんですが、「濱屋 川岸の涼み」はまさにうってつけ!3人の若い女性が、何かを見ています。


川岸とタイトルにあるとおり、ここは海岸ではなく、川岸ですね。
3人が何かを見ています。何を見ているのかな?
 絵の雰囲気からして、さほど大きな事件があったわけではなさそう。

中略

カワイイを浮世絵に持ち込んだ清長
 この絵を観れば観るほど、いまでもこのままありそうな光景に見えてきます。
江戸時代という遠い昔より、いまよりちょっと前の時代はこんなふうではなかったのかなと思えてくるから不思議です。
清長が活躍した時代の江戸は、とても景気のよい時代でした。
江戸のみなさんにも、とても余裕があったのでしょう。
江戸がとっても楽しい時期だったんです!

中略

鳥居派とアイドル文化。日本人の特性
 清長は、美人画で大活躍した後、浮世絵の名門「鳥居派」の4代目を襲名します。
鳥居派は、役者絵で有名な一派です。
美人画が大得意なんだから、その道を貫けばいいのに~、とつい思ってしまいます。
実際、清長はこの襲名前後から役者絵を手がけることが多くなったそうです。
もしかしたら、この当主としての顔が、清長を現代、地味な存在にしているのではないでしょうか?
芸術家というより職人というイメージになってしまったから?

 でも、師を師として仰ぎ、徹底的に師を目指す職人的努力は、日本そのものという気がして、それはそれで私は好きです。
印象派の画家たちで、たとえばルノワール3世とか5代目モネとかないし、考えられません。
友人でもあり、仲間でもあり、ライバルでもある印象派の画家たちは、あくまでひとりひとりの個の集合体。
だから、印象派が200年も続いていくということはありません。
でも、琳派にしても狩野派にしても、浮世絵の鳥居派にしても、長い年月にわたって画風が継承されていく一派があるのが日本美術史の大きな特徴です。

 私は、日本人が持っているそうした気持ちの根底は、「こんなふうになりたい!」という想いにあると思います。
私は、モーニング娘。のプラチナ期と呼ばれた時代のみなさんにとても憧れています。
高橋愛さんがリーダーだった時代です。
画家も浮世絵師もアイドルも、「こんなふうになりたい!」という気持ちに変わりはないって思うんです。
そうなりたいって思いがあると、自主的にすべてやるようになります。
こうなるためには、いまこうしなければいけないって日々考えるんです。
私がモーニング娘。のプラチナ期を見る想いと、浮世絵師がこうなりたいって想いに違いはないです、きっと。

 誰かを超えたいという想いより、ああなりたいという想いが相対的に強いのが日本人なのではないでしょうか?
でも、新しい血が入ってこず、伝統だけだとそのもの自体が古くなってしまいます。
だから、伝統にあこがれた新しい血が入り、また次の伝統を作り、それが継承されていく。
そんな日本人の特性が、私は大好きなんです。
アイドル文化も!

 私は、アイドルとして何を残したいんだろう?
ライブは、パフォーマンスもパワーも気持ちも違うし、一回一回ぜんぶ違うんです。
だから残せない。
残したいけど、残せない。
でも、やっぱり残したい。
私が残したいのはきっと心なんです。
だからこそ、心を伝えていく、いつもいっしょにいるグループが必要なんですね。
感情移入して、鳥居清長の人生に、私の想いがどんどん重なっていきます。

アイデアマン清長
 清長は、アイデアマンでもあります。
続絵と呼ばれる、1枚でも成立するけど、2枚、3枚つながると、そこに新たな物語が見えてくる浮世絵を発展させたのは清長だそうです。
やっぱり清長は浮世絵界の物語作家なんですね。
波乱万丈な物語でなくても、江戸の町に暮らす普通の男女が日々営む生活のなかにも物語があることを見つけた浮世絵師、清長。江戸の町並みを写実的に浮世絵に最初に描いたのも、清長だそうです。
だから、清長の絵は、現代の私たちが観てもどこか懐かしいんですね。近代化が進み、高層ビルが立ち並ぶようになっても、日本の、東京の、ふとしたところに残っている、江戸や昔の東京のにおい。
誰しもが持っているそんな原体験のような気持ちを、清長の絵は思い出させてくれるのかな。

 「濱屋 川岸の涼み」を観ていると、幼いころの家族とのこんな夏の日を思い出します。
私は群馬で育ちましたが、残暑のころ、車で山に家族でぶどうを買いに行くんです。
そこに小さな休憩所があって、焼きとうもろこしを食べたり、ラムネを飲んだりする。
そんな夏の1日です。
四季がある日本。
暑い夏の自分の原体験のような1日。
そんな1日を、浮世絵を観ながら思い返すのも素敵ですよ。

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絵画の話では有りませんが、手漉き和紙が無形文化遺産に登録されましたね。
石州半紙が2009年に登録されていたため、その他の和紙を登録出来ない状態でした。

今回、「細川紙(ほそかわし)」(埼玉県小川町、東秩父村)と「本美濃紙(ほんみのし)」(岐阜県美濃市)を、既に登録済みの「石州半紙(せきしゅうばんし)」(島根県浜田市)と一括登録し直し「和紙 日本の手漉き和紙技術」としてユネスコの無形文化遺産として登録される事が決まりました。

紙は中国で発明され、7世紀頃には日本に伝えられ独自の進化を遂げて和紙となりました。

現在では、絵画の修復の為に世界で広く使われている和紙。
手漉き職人が絶えることが無く、そしてよりよい和紙が生産されるようになると良いですね。

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