2008年10月18日の温故知新ブログです。
私の人生の転機に現れたキーマン、フジハラビルオーナーの藤原英祐さんからのメッセージをご紹介しています。
「馬上に少年を過ぐ。世、平にして白髪多し」という伊達政宗公の言葉がかある。
戦いに明け暮れながら青春時代を過ごし、周囲が穏やかになった頃には既に白髪の目立つような歳となっていた、という意味だが…、
実は平和な現代日本にもそれを地でいくような人間が存在する。
三種の神器を持たない男、藤原英祐。
皮肉にも(!?)かつてはかの松下幸之助の秘書に抜擢されたこともあるが、そのスカウトのやり方が「いかにも上から目線で気に入らなかった」という理由できっぱり断った、というエピソードは、横柄な時の朝廷に刃向った彼の先祖・藤原純友の姿とも重なって見える。
携帯電話、パソコン‥この2つを持ってない人ならまだ沢山いるだろうけど、これに加えてテレビも、となるとどうだろう…。
藤原さんのお屋敷にはテレビが無い。
そしてバイクも車も無い。
人のためにタクシーを呼ぶことはあっても、自分が楽するために呼ぶことはなく、終電に乗り遅れた時には自宅までの長い距離をひたすら歩いて帰る。
情報源は、ラジオと日経新聞と、法律改定を知らせる専門誌のみ。
唯一のマシンは古畑任三郎のようなケッタマシーン。
ここにも「有害な情報やリスクからはなるべく遠ざかる」という超慎重派、藤原哲学が活きている。
「フジハラビル物語」が大盛況大成功のうちに終わってから数日後、藤原オーナーにやっと電話が繋がった。
本業である法律関係の仕事で留守にされていたそうだが、毎日終電直前までビルに残り作業されてるのに加え、イベント前日はほぼ毎回徹夜で泊まり込み…究極のMr.ストイック。
「フジハラビル物語の中で一番大事なところは“発想の転換次第でどうにでもなる”ということです。だから今の自分が置かれてる環境に絶望する必要は全く無い。どうしたらいいか分からない時は私のところへ来れば教えてあげます。
逆にええとこの坊ちゃんお嬢ちゃんはほっといてもどうにかなるから来る必要はない」
私もあの時、一歩前に出てビルに足を踏み入れ、掃除夫と間違えるベンガラ粉まみれの作業着を着た藤原オーナーに出会ってなければ…未だ地獄のようなドロ沼結婚生活を送っていたか、最悪命を落としていたかもしれない。
最後に感謝をこめて、藤原オーナーから次世代を担う若者達へのメッセージをご紹介しておこう。
「私のこれまでの仕事の後を見て、よく独りでここまでやったものだと、他人は驚き、誰にでも出来ることではないという。天才だ、などと持ち上げてくれる人までいる。誉められて悪い気はしないが、自分に出来ることをコツコツ続け日々一つのことに打ち込む、その中から奇抜な発想も斬新な工夫も生まれてきたのである。
私は、教育者としての肩書は失ったけれど、縁あってフジハラビルを訪ねてきた若い人達に、こういった事の他にも、人生の先輩として伝えたいことが山ほどある。
それは教育者、会社経営者、そして法律家としてこれまで培い、蓄えてきた知識であったり、もっと根本的なこと、人生を幸せに送る方法、価値観であったりもする。
人生を幸せに送ること、それは易しいようで難しい、難しいようで案外易しいものだと思う。
今、手にしているものが例え僅かであっても将来に展望を持つこと、なんなら夢や希望と言ってもいい。
自分に与えられた過酷な運命や、一見不利にしか見えない条件、その僅かな手持ちのカードの中から最大限の可能性を引き出すのは、ほんのちょっとした発想の転換にほかならない。
フジハラビルを訪れる大勢の人達の中には人生に行き詰まりを感じたり、挫折や諦めを抱いているような人も少なくない。私は心理カウンセラーではないが、法律家として出来うる範囲でアドバイスをする、そして常にこう付け加える。
決断するのは結局自分自身をおいてほかには無く、チャンスが訪れた瞬間を逃さぬよう、常に前を向いた生き方をするよう、心掛けるしかない。
そう繰り返し、語りかけ続けているのである。」