今でこそ、

3人子どもに恵まれましたが、

嫁いで10年以上、

子どもがいませんでした。

 



となると、

ざわざわするのは

お寺の跡取り問題。

 

 

 

 

 

お檀家総代さんたちとの食事で、

酔った総代さんに

「若奥様、後生だから、お子を!

 お世継ぎを産んでください!」

と頭を下げられたり笑い泣き

え!時代劇なの?!

かなりのけぞりました。

 

 

 

義姉が意気揚々と

自分の息子を跡取りとして

お寺に入り浸らせたり。

行事のたびに檀家さんに挨拶させたり、

お坊さんに挨拶させたり。

まあ子どもいなかったしいいんですけど、

お陰でうちの長男産まれた時、

次男だと思われてて訂正が大変だった😅

 

 

 

 

もちろん実母も義母も、

それとなーく…

「そんな働いてないで子ども!」

と伝えてくる。

 

 

 

 

跡取りとはなんぞや??

 

 

 

よくよく聞いてみると、、、

 

 

 

お寺はお寺に住んでる

寺族のものではなく、

総本山をトップとする宗のもの。

言葉を選ばず言うと、、、

コンビニのフランチャイズに似てる。

本社があって(総本山)、

個人事業主の店舗(寺院)があるけど、

規格や商品は一緒で緩やかなヒエラルキーもあるという。

 

 

住職を辞めたら

住んでる庫裏も、

何もかも返さないといけない。

 

 

つまり、

子どもが後を継いでくれないと、

宗から新しい住職が派遣されて、

家族は住まいと職業含むお寺ごと、

返さないといけないってこと。

たしかに、

若いうちからお坊さんの仕事しか

してこなかったのに、

老後に放り出されるなんてやだよね。

 

 

だから、

なんとしても跡取りが必要なのだ。

 

 

 

うちは、

子供授からなかったら、

早々にお寺は誰かに引き継いでもらって、

2人でどっか好きなとこに住もう!

と話したりして、

跡取りがいないことに

焦りも後ろめたくも

なかったんですけどね。


子どもいたら楽しそうだけど、

跡取りって意味では別にいなくても、

というスタンス。

 

 

お檀家さんにしたら

知らない住職が来るのも違和感なのかな、

義姉にしたら

義両親がいられなくなっちゃうし、

実家がなくなる危機なのか。

 

 



それぞれの都合はよくわかるけど、

なんだか、

自分たちの利益や都合のために

子どもが必要ってなってそうで、

紙一重だな・・・と感じる。

 

 



跡取りといえば

皇室とか

歌舞伎なんかも、

よく話題になりますね。



産まれてくる子どもとは関係ないところで

出産の意味目的が持たれちゃうって、

母としても子としても複雑だよな。

そういうために産んだわけじゃないのに。

そのために産んだっていう、

強い母もいるかもしれないけど。

 

 



 

跡取りとは別で、

子どもが欲しくて私も

妊娠できたわけですが、

これまた「男!?」「女?!」

 

 

性別問題が降りかかってくるのでした。。。

 

 

お寺の子、

男の子or女の子問題はまた別の機会に。

 

 

 

 

 


藤井聡太棋士の

Switchソフト。

将棋できたら、

年齢関係なく

遊べて楽しそうだな、と。

なによりじいじ達が喜ぶ!

じいじ達を負かしたら

長男めちゃくちゃ喜びそう。 


一緒にやろうと

買ってみました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体が毒素をため込みすぎています。

 

肩が凝って二の腕がごつい、、、

姿勢が悪くてお腹がひっこまない、、、

脚がむくんでゾウみたいになってる。。。

 

 

産後だからという言い訳も、

4ヵ月を過ぎ、

そろそろ尽きてきました。

 

 

もともとヨガやストレッチみたいな

静の動きよりも、

ジョギングや筋トレのような

快活な動きのほうが

好きだったはずが・・・。

 


 

たぶん、走ったり筋トレするための

筋力も体力も気力も余裕もすべて、

 


いま、、、、

 


ないっ!!!

 



 

で、気力体力があったころは、

全然魅力を感じなかったヨガに、

めちゃくちゃ必要性を感じています。

 


 

凝っていない肩、

張ってない腰。

むくんでいない脚。

 


 

そんな身体だったころ、

ありましたっけね・・・?

 

 

長男を産む前、

30代前半くらいだって、

ハードワークで身体はカチカチだった。

 

 

でも、肩が凝ろうが、

脚がむくもうが、

気力まで奪われる疲れには

つながっていなかった気がする。

 

 

学生時代は

バリバリの体育会系だったこともあって

その貯金ならぬ貯筋で

体力もあったし、、

身体を動かすことに

抵抗もなかったせいもある。

 

 


40代に突入し、

3人目を産んではっきりとわかる。

 

 

 

10代で培った貯筋は、、

とっくに使い果たしたことを・・・・笑い泣き

 

 

 

そして、

そんな身体をイチから動かすため、

今の私が隙間時間で、

かつ家でできること。

 



それがヨガ。。。

ちょい年下のayaさんのしなやかな身体に

触発されたという単純な動機もある。

 

 

 

でも、ヨガって、今でこそ

スポーツクラブのエクササイズの 

一つになってますが、

もともとインドで 

仏教の修行の一つとして始まったもの。

 

 


なので、

瞑想とか、

呼吸とか、

合掌のポーズとか、

仏教と共通する部分が多くて、

面白いなあと。

 

 


とりあえずYOUTUBE見ながら、

時間見つけて身体を動かし始めてます。

 

 


 

どのポーズも、

悲しいくらいにできませんがね。ええ。

 

 

昨日と今日、

ちょっとやってみただけで

身体バキバキです。ええ。

元国体選手だった過去が泣くぜ。

 

 

今日のお風呂上りなんて、

横になった瞬間、

長男次男が腹に乗っかってきて

そもそもヨガが成立しませんでしたよ。


 


ふう。

やれる範囲でいこう、私。

 

 



ポーズがちょっとはサマになるくらい、

身体が動くようになったら、

ヨガの思想のほうも、

本格的に教わりたいな。

 

 


自分史上最高の、

肩の凝ってない、

腰の張ってない、

脚のむくんでない、

健康でしなやかな身体に。

  

 

想像しただけでわくわくする。

 

 

軽い身体を手に入れたら

なんでもできるようになる気がする。

 

 

ふふふ

ちょっと身体を動かしただけで、

めちゃくちゃ前向きな妄想がゲラゲラ

 

 

やっぱり身体と心って繋がってるんだなー。

 

 

若いころは、

無理しても勢いで乗り切っちゃってたけど。

 

 

無理できない年齢になって

実感して、気づく。

 

 

そして改めて、、

自分の身体に向き合ってみる。

 

 

なんだ、

歳を重ねることって

なかなかいいことかも。

 

 

 



 


キッチンで育てている

豆苗の根っこ。

あ!小さな芽が出てるよ!って

長男に言ったら、

「知ってる。もう朝に見つけた」

ってそっけない返事。


なんだよー、

前日の夜見せたら、

全然興味ない顔したくせに、

めちゃくちゃ気になってんじゃん🤣





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近思っていること。

 

 

「かもしれない」から自由になりたい。

 

 

朝、子供に対して、

「早くしなさい!」って怒る。

「なんで!?」

最近口ごたえする年長児。

 

 

なんでかっていうと…自問自答・・・。

 

幼稚園遅れるかもしれない

遅れるだらしない人と

   思われるかもしれない

だらしなくて

   将来苦労するかもしれない

苦労すると、

   幸せじゃないかもしれない

 

もっと言うと、

 

幼稚園遅刻するような親って

   思われるかもしれない

不規則な生活を

   させている親と思われるかもしれない

 

 

 

 。。???

 

 

 

びっくりするくらい

「かもしれない」を根拠に

あれこれ注意していることに気づく。

 

 

実際は幼稚園遅刻したこと一度もないのに。

 

遅れてから怒ればいいんだよな。

 

 

たとえ遅れたとしても、

別に幼稚園の遅刻が子どもの不幸に

直結しているわけじゃない。

 

さらに言うと、

不幸かどうかは本人が決めることだ。

 

そして最悪なのは、

子どもを通じて私の評価を気にしてる。

 

 

「かもしれない」だけなのに。

 

 

 

 

 

自分の事もそう。

 

 

ちょうど、古巣の会社から、

業務委託で任せたい仕事があると言われて、

まず、後輩が声をかけてくれたのがうれしかった。

 

オンラインでできる仕事だし、

こちらの時間の余裕と合わせて

ミッションも調整できると言ってくれている。

 

 

お寺の奥さんというポストは

ありがたいし、

責任もって働いているけど、

自分の自由になるお金は、

お寺からのお給料ではなく、

自分の力で稼ぎたいという気持ちもある。

 

 

すごくうれしかったのに、、、

 

 

育児とお寺と仕事、

 また破綻するかもしれない

 

ブランクがあるから、

 成果を出せないかもしれない

 

途中で投げ出したくなるかもしれない

 

仕事ができるから任せてくれたのに、

 仕事ができない奴と思われるかもしれない

 

馬鹿にされるかもしれない

 

 

「かもしれない」が頭をもたげて、

即答できなかった。

 

全部やってみなきゃわからないし、

一生懸命やって期待に応えられなかったら、

それが今の自分の実力。

受け止めるしかないはず。

 

 

 

先々を予測して動くことは、

素晴らしいことだし、

ビジネスパーソンに必要な力でもある。

 

 

 

一方で、

人生で「かもしれない」を連発すると、

自分や相手の

「いまここの気持ち」が見えなくなっちゃう。

 

 

 

子どもに注意するときは、

「かもしれない」に囚われて、

いまここの彼らを見失ってないか?

一呼吸おいて自問してから

伝え方を選ぼう。

 

 

「早くしなさい!」じゃなくて、

子どもがいま熱中していることを尊重して、

「8時になったら声かけるよ」に。

でも優しく言った一回じゃ絶対動かないんだよなー。

何度も同じこと言ってるとだんだん「早くしなさいっ!」

になりがちwww

結局、ほんとに遅刻してみることしかないな。

経験から学ぶことも大事。

 

 

 

自分のこともそう。

「かもしれない」ことが色々でてきても、

「で、何か問題ある?」

「本当はどうしたい?」

と、ちゃんと自分に聞いてあげたい。

 

 

 

「こう在りたい」未来を

自分で作り出すために。

 

 

 

 





深夜2時半の授乳のあと、

全然眠れなくなっちゃって

仕方なく4時半に起きた朝。


めちゃくちゃ美しい空。

それだけで1日いい気分。