歌手、門倉有希さんは1973年12月1日生れで福島県須賀川市出身
 デビュー曲は1944年の「鴎…カモメ」、悲しげなメロディがハスキーな声によく似合っていた
 1998年の「ノラ」は80万枚というロングヒットを記録している♪

 門倉は1994年に1度引退したが、その時はデビュー前に知り合って同棲したこともある男に
 監禁され、DV(家庭内暴力)や脅迫まで受けたという
 その辛い体験が「ノラ」をカバーするきっかけになったらしい。
 2019年に乳がんを告白して2022年12月から休養に入り、2024年6月6日に50歳の若さで死去した。

 シングルの発売は2022年の「幸せの分かれ道」(2面ラナンキュラス)が最後だったが
 2024年5月22日に歌手生活30周年記念のベストアルバムを出したばかりだった。











門倉 有希(かどくら ゆき)、本名・金田 充恵(かねだ みつえ、1973年12月1日 - 2024年6月6日)は、日本歌手。女性。門倉有希音楽事務所に所属、所属レーベルはビクターエンタテイメントである。

来歴編集

福島県須賀川市出身。1994年、『鴎…カモメ』でデビュー。

1996年、第六回NHK新人歌謡コンテストで『女の漁歌』を歌い、グランプリ受賞。特典により、その年の第47回NHK紅白歌合戦に出場。卓越した歌唱力と迫力十分の声量が魅力で、デビュー当初はコブシを利かせた正統派演歌を中心に歌っていたが、その後は路線転向して「歌謡曲」寄りの曲を歌うようになる。

1998年、8枚目のシングル『ノラ』が80万枚を超えるロングヒットとなる[1]。独特なハスキーな歌声と、表情から染み出る悲壮感は多く支持されている。

2016年、作曲家三木たかしの未発表曲『恋猫』を、元NHKで現フリーアナウンサー宮本隆治とのデュエットにて発売。

2019年9月18日、ブログで乳がんの治療を行っていたことを報告した。

2022年12月より体調不良のため休養していたが、2024年6月6日、乳がんのため死去した。50歳没[2]


 1994年10月19日に一時芸能界を引退している。当時所属事務所は精神的疲弊を理由とし、また各マスメディアからは男性と失踪したなどの報道がなされた。しかし本人は、2016年4月15日放映の『爆報! THE フライデー』にて、デビュー前に同じ15歳で共に出場したオーディションで知り合った男に監禁されていたと発表。男とは高校卒業と同時に上京して同棲をしていたが、その間監禁同様でDVを受け「逃げたら殺す」などと脅されたと主張、脱出後に拒食症を患ったとも。なお療養中に拾ったネコと出会うことで「ノラ」をカバーするきっかけになったという[3]。

 学校法人石川高等学校在籍時代に野球部のマネージャーとして甲子園に出場しており(ただし、当時は女子マネージャーのベンチ入りは認められていなかった)、甲子園と紅白の両方に出場した初めての女性歌手として話題になった(男性歌手では実際に試合にも出場した山本譲二などがいる)。元オリックス(ブルーウェーブ→バファローズ)・千葉ロッテマリーンズ投手の川越英隆と同期である。
母親の影響で子供の頃から矢沢永吉の大ファンで、ライブ観戦は勿論、ライブビデオやインタビュー記事も全部収集し、落ち込むとそれを見て"頑張らないと!"と励まされているという。