「人の心に寄り添えないのか」

それこそ、人に強要することではありません。

ましてや、否定や批判、非難する人に対して、「人の心がないのか」などとは、言語道断です。

誰かの境遇や現状や状態に、寄り添うのかどうか、決めるのは、あなたではないでしょう?

伝統や指針や方針、その人の置かれた立場によって、どう振る舞うのが正しいのか、誰にも強要する権利や義務はそもそもないはずなんですが、それを望み、願うのは、人の世の常ではありませんか。

相手選手は、テレビに写った限りでは、勝った瞬間、飛び上がって喜んだり、叫んだりはしませんでした。

複雑な表情で、そこに立ちすくしていました。

この、相手選手の態度や表情に対して、当該選手の嘆き悲しむ姿は、柔道という伝統に則って見れば、相応しいのか、という声もあって、当然ではありませんか?

その人の置かれた状況や環境や境遇に、同情したり共感したりしない、或いは出来ないからと言って、それを、一刀両断に心がない、などと言うのも、あなたの嫌う「心がない」のと同じではありませんか。

そう言えば、当該選手は、試合のあと、礼をしていましたか?

その場に呆然と座り込んで、最低限の礼儀も果たさなかったのではないでしょうか。

私は、オリンピックなどという、世界の猛者が登壇できるような、そんな特別な場所には、たとえ観客としても参加できるような人間ではありませんが、柔道や剣道という、礼に始まり礼に終わる、くらいの「常識」は知っています。