松永さんを、テレビで初めて拝見したとき、とってもやさしそうで、そして弱々しい印象でした。

しかし、何回かお見かけしていくにつれ、その表情は変化していることに気がつきました。

今では、その精悍な雰囲気に圧倒されています。

その理由が分かりました。

このお言葉は、見事にこの方の生き方を物語っています。




自分の出自や、環境や、過去の出来事に起因した嘆きや、憎しみや、恨みや、愚痴を、たくさん聞いてきましたし、目にしてきました。

そう言う私自身、恨みや憎しみの生温かさが、大好きでした。

その沼に浸かっていれば、何も考えなくて済んだし、自分を憐れんでいれば、何もしなくてもよかったから。

そして、似たような人たちを見つけては、自分をそこに重ねて、安心していました。

泣き喚いて、誰其れからこう言われた、鞭された、強制された、いじめられた、etc.

現代は、「被害者」とされる人たちへの同情が手厚い時代なのですから、そこから這い出る理由がありません。

それを乗り越える必要もありません。

でも、松永さんは、乗り越えたんですね。





ある映画で、甘くて優しい面立ち、穏やかで如何にも良いとこ育ちというある青年がいました。大学での学生生活を満喫していて、屈託のない笑顔でクラスメートと談笑していたその青年をアル・パチーノが演じていました。

その青年の父親だったか、お兄さんが外の組織に殺されて、彼がその稼業を継がなくてはならなくなったというその瞬間、彼の表情がすぅーっと変わりました。

自分の使命と責任をはっきりと悟った刹那、彼の顔は精悍な顔立ちになりました。

人間は、成長するんですね。

松永さんの表情は、映画ではなく、現実に初めて見た、人間の顔です。