ぼんやり | きみどりな日々

ぼんやり

新学期なので、今日は新入社員の方が見学をしている姿を見かけました。

お昼に出かけて銀座のGINZA SIXに行ってみましたが入るのに60分待ちとの事で、お天気もいいし、六本木へ。毛利庭園と檜町公園へ。
コーヒー飲んでシュークリームを食べました。


人生まだ30年余ですが、最近はとても良い人に巡り会えて、心穏やかに過ごせ、その人といると不思議と沢山笑う事ができています。


10代早々にストレスから生きる意味を見失い、心を病み強迫性障害の様な状態になり、何とか進学しました。普通の学生生活を人並みに送るも、やはり何故生きているのかや、生かされているのか等自分の人生は何だったのかとの悩みはつきまといます。
誰しもその様な思春期の悩みがあるものだと思っていましたが、そうではない人も多数いることを後に気が付きます。
葛藤の中、人の人生や生き方に興味を持ち、色んな人の生き方をこのブログや本色々な媒体を通じ、知ろうとしてきました。

そんな私は22にして母になると、産後のハイ状態の後、子どもと引きこもる鬱状態の日々に突入します。
人と会うことや子どもについて誰かと話すこと、子どもを通じ誰かと知り合うことが苦痛でした。1週間に話しをするのは主人のみの生活が続いても、原因不明のイライラの全てを主人にぶつけ警察を呼ぶ騒ぎを起こしたりしました。

そうこうしているうちに2回目の出産をするも、下の子の可愛さと、赤ちゃんを弄りまわす上の子への不信感から上の子が可愛くなくなり、愛情が薄れていきました。
生まれた赤ちゃんを守りたいという本能だったのだと思いますが、その不信感や排除したいとの気持ちは中々無くなってくれず、愛せない日々は積み重なりました。

あからさまに下の子を可愛がる私を見て上の子は嘸かし傷ついた事でしょう。
その頃の私はただ育児と家事に必死で、2人連れて出かけるなんて想像を絶する大変さが目に見えた為、益々引きこもるという悪循環。
ふと子どもの気持ちを思い涙したりする日もありましたが、そうした気持ちは日常に埋もれていきました。

その間主人以外に相談出来た人はいませんでした。

1人で朝から晩まで小さい子供達と過ごす事はとても苦痛でした。もともと子どももそんなに好きではなかったし、家を汚される事が嫌でそのストレスは尋常じゃなく、怒ってばかりいました。

今思えば、母がその様に私を育てたからです。
母も家の家事や手のかかる美味しい料理を作ることに必死で、私のことはまるで興味がなさそうでした。彼女はいい母では無くいい妻でいたかったのでしょう。
そんな母が好きではない私は祖母の家に入り浸り相手をしてもらっていました。
今思えば、祖母と叔父と叔母の存在は私に少しの自己肯定感を与えてくれ、唯一私が私らしくいられた場所ではないかと思います。
しかし、嫁にあたる母は祖母や叔父、叔母の事はよく言わず悪口ばかりを子どもの私に聞かせ、自分は祖母達のせいで不幸になったと言いました。

そんな事ばかり聞かされ、唯一の安らげる場所であった祖母の家も年を経るごとに、行きづらくなりました。
しかし母である彼女の話や愚痴を聞くのも私の役目なのかと思い、只管聞き役に徹しました。
そうしなければ彼女は誰も私の事なんかわかってくれないと嘆き、泣き出すからです。

彼女は事あるごとに自分の過去のトラウマや嫌だった話しを持ち出し、何度も同じ話しを繰り返し私はずっと不幸で幸せではないと泣き出すのです。

止まらない彼女の人生の話しを、只管聞かされる私の気持ちまでは彼女には考えられないのです。

唯一自己肯定感を与えてくれた祖母の悪口を聞かされ、自分を生んだ人間が、何をかもを自分の親や環境や他人のせいにし、自分は人一倍頑張ったのになぜ自分ばっかりこんなに損ばかりしなくてはならないのか、世界一不幸だと嘆く。
そんな事は大人になるまで繰り返され、現在も続いています。

彼女が怒るのは私に家を散らかされ、自分が掃除をしなくてはいけなくなり、自分が迷惑をするからという理由です。
いつだって私より自分が可愛いのです。

そのことに気が付いたのはわりと最近で、私が子育ての鬱状態から脱し、仕事を通じ色々な家庭家族を知り視野が広がってからになります。

育った環境の欠点が現在の私の子育てにまで影響を及ぼし、孫の人生にまで大きな影響を与えようとしていることに母が気が付く筈もなく、その様な事を言えばまた泣き出し、父に助けを求めるのです。

私の育った家庭は私の親に対する意見が尊重された事はありません。何か言っても2人揃って私を罵るのです。

そして典型的な学歴主義で、母へ世の中の事をなんでも知ってると言いますが、私は彼女ほど視野がせまく、世の中を見ようともせず、理解する努力もしない人はいないと思います。人のことを世間知らずと嘲笑う母が一番世間知らずなのに、彼女は気が付きません。
人間60年も生きると自分を変える事は不可能なのでしょう。

確かに身の回りの世話や色々やってもらった事はありますが、今となっては全てやってやったと言い放ち、恩着せがましく感謝されようとしています。

残念ですが私には彼女を大切に思う気持ちはありません。
彼女には愛されてると感じたことが無いからでしょう。抱きしめられた記憶もなければ、なんで?と聞くと返事はいつもなんでも!と返ってきました。
そんな家にいるのが幼いながらも苦痛だったから祖母のに助けを求めたのでしょう。

母もまた母親に愛されていなかったので、愛を知らないのだと思います。

そんな自分の過去を客観的に考察することが出来ない母を説得する事は不可能だし、20年以上悪口や愚痴を聞かされた私ももう擦り減り過ぎて彼女に寄り添うことは到底出来ません。


なんでも人のせいにしてるのは自分であるのに認めない、気付かない、知ろうともしないでは話になりません。
そんな人に幸せが訪れる筈もないのに、彼女といるとまわりが不幸になっていく気がします。


自分勝手と人には言いますが自分が一番自分勝手なのです。


もれなく私も母になりきれずアダルトチルドレンなのではないかと悩む日もあります。
救いなのは子ども達を抱きしめることが出来ることです。上の子には今でも少し違和感はありますが、最後の拠り所であり、味方でいてあげたいと思えます。