2024年お正月を迎え、ここ何日かは姪と甥の3人の子供達と過ごしていました。
元日、日本では色んなことが起きて一気に荒々しい空気感になりました。
ここ最近、実はメンタルにきていて、地震が発生してから3日後くらいに胸の詰まりが酷く、ハートが悲しみと喪失感に溢れていました。
それが始めはなんなのか分からなくて・・・
ただ姪っ子達と過ごしていた時に、自分が子供の時に親に言われて嫌だと思ったことを子供達が受けているのを目の当たりにした時に、明らかにわたしの古傷が疼いているそんな感覚はありました。
記憶の限り幼い頃からわたしは気が弱く、今思えば感受性が高かったので、親のちょっとした怒鳴り声や周りの友達の自己主張が強くて耐えられない経験をしてきました。
「言いたいことがあるなら言えばいいじゃない。」
「主張しないと分からないよ?」
言っている意味はわかるんだけど、それよりも相手の圧に耐えられなくて主張するなら逃げた方がいい。そう思って生きてきました。
それは大人になってコミュニケーションを学んでからかなり改善されましたが、今でも出来れば感情的な対立は避けたいなって思っています。
今回それが良い悪いという話ではなく、この時期にこのタイミングで心の傷のトリガーとなったこと。
正直地震はいつ来てもおかしくない。いつ自分が被災してもおかしくない。 そんな土地で私たちは生きているので、ある程度の覚悟はしていましたが、いざそれを目の当たりにするとやはり揺れ動いてしまう。
そして自分の中にまだ癒えていない傷があったことを知りました。
長い間自己否定をして過ごして来て、ここ数年は自分を癒す、受け入れることを心身共に徹底してやって来ました。
ただ、実際は受け入れるではなく抑制をしていたということに気づきました。
内気な自分。言葉にするのが苦手な自分。身体が硬い自分。
記憶力が悪い自分。
そんな自分の特徴を知った上で受け入れて何とか良くしようとしていたこと。
愛に溢れた人になると目標を掲げたこと。
実はそれらは改善という名の自己否定に繋がる行為でした。
こうなりたい、もっと今の自分を改善したい。
そう思うのが悪いというわけではなく、自分に合ったやり方を見つけようとしなかったこと。
自分の特徴を生かすという行為をしなかったこと。
それはもろに呼吸に反映されていて、わたしは血液循環が悪く、呼吸が浅いのでなるべく深く深くを心掛けていました。
心掛けたのはよかったのですが、深く深く・・・苦しい
でも慣れるまでやればきっとそれが意識せずとも習慣になる。
そう思って気がついたら呼吸!という感じでやっていました。
その苦しさは初めの頃よりは軽減されましたが、身体を良くしようと逆に負荷をかけてしまっている部分が結構あることに気づきました。
みんながみんな同じ身体ではない。同じ個性ではないので世の中で良く提唱されていることをやったところでその人に合っていなければ逆に毒になる。
自分の特徴を生かして、自分に合った方法で、心地の良いリズムを探していく。 それこそが自己受容であり、自分を癒していくことに繋がるのかなと思いました。
愛を感じて循環させて、愛に溢れた人になる。
この目標は一昨年、心の底から出たもの。
思い返せば子供の頃から痛いほどに人の気持ちや主張がわかるので、相手のために先回りして行動したり、辛そうな人が居たらすぐに声をかけたりと、昔から十分愛に溢れている子だったよねと。
自己受容、今まで表面だけ撫で回していたそんな感覚になりました。
深く深く理解していくと涙が止まらなくて・・・
きっと愛を感じる、溢れた人になる。っていう思いも自分を感じたい。感じた上でもっともっとありのままを出していいんだ!
これに気づくために設定した目標だったのだと今思いました。
今年の3月にヒプノセラピーを受けて、10年後のまるでマリアさまの様な柔らかい雰囲気を放つ自分から「感じて!」とのメッセージをもらったことも、外を感じてではなく、内側を感じて。
自分をもっともっと知って。そういったメッセージなのかなと思いました。
1日から今日まで、時の流れが早く、そして色んなことが起こっているそんなカオスな状態が今回わたしの傷を刺激したのだと改めて分かりました。
不安や恐怖を感じる方、悲しみ苦しみ、怒り、それらが表面に出ていなくても、少なからず内側はざわざわしている方が大半だと思います。
そんな時に無理にそれらを閉じ込めるのではなく感じてみてください。 酷なことを言っていますが、それらの感情から目を背けているといざという時に本当に爆発してしまう。
少しでも心の違和感を感じた方はそれが何なのかを探すこと。
そして傷を癒していってください。
1人では難しかったら他人を頼ってください。
わたしも今回傷が疼いていることに気づかせてくれた現象や人達がいたことで向き合うことができました。
これらは生きている限りずっとやっていくことです。
前回の投稿から今日まで長らくあきましたが、新年早々とても深い気づきがありました。


