最後だとわかっていたならあなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたなら…
わたしは、もっとちゃんとカバーをかけて神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう。
あなたがドアを出て行くのを見るのが最後だとわかっていたなら…
わたしはあなたを抱きしめてキスをしてそしてまたもう一度呼び寄せて、抱きしめただろう。
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが最後だとわかっていたなら…
わたしはその一部始終をビデオにとって毎日繰り返し見ただろう。
確かにいつも明日はやってくる。
見過ごしたことも取り返せる。
やりまちがえたことも、やり直す機会がいつも与えられている。
『あなたを愛している』と言うことは、いつだってできるし…
『何か手伝おうか?』と声をかけることも、いつだってできる。
でも、もし、それがわたしの勘違いで、今日全てが終わるとしたなら…
わたしは、今日どんなにあなたを愛しているか伝えたい。
そして私達は忘れないようにしたい。
若い人にも、年老いた人にも、明日は誰にも約束されていないのだということを…
愛する人を抱きしめるのは、今日が最後になるかもしれないことを…
明日が来るのを待っているなら、今日でもいいはず。
もし明日がこないとしたら、あなたは今日を後悔するだろうから!
微笑みや、抱擁や、キスをするためのほんのちょっとの時間を、どうして惜しんだのかと。
忙しさを理由に、その人の最後の願いとなってしまったことを、どうしてしてあげられなかったのかと…
だから、今日、あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう。
そして、その人を愛していることいつでも、いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう。
『ごめんね』や『許してね』や『ありがとう』や『気にしないで』を伝える時を持とう!
そうすれば、もし明日が来ないとしても、あなたはね今日を後悔しないだろうから…
この詩は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で1機目が激突後、救助の為、最初にツインタワー内に突入した数百人のレスキュー隊の内の一人で、今も行方不明中の消防士(29歳)が生前に記したものを、アメリカのサンディエゴ在中の日本人Mutsumi May Sagawa(佐川睦)さんという方が通訳した詩です。