たとえば人を信じるとき、
その人が誠実かとか、
実力があるかとか、
言ってることに説得力と信憑性があるかとか、
安心できるかとか、
いろいろ考えたり検証したりしてしまうけど、
もしそれが正しくなくって、
誠実だと思ってたらほんとは誠実なんかじゃなくて、
実力があると思ってたらほんとはたいした力なんかなくて、
説得力と信憑性があると思ってたらほんとはそんなもんなくて、
安心できるかと思ってたらほんとはガッタガタで、
その結果、
信じてたのに裏切られたとしたら、
それは相手が悪いんだろうか。
誠実なフリしたり実力のあるフリしたりした奴が悪いんだろうか。
いやいや、全部自分のヒトリヨガリでしょ。
勝手に「この人は信じられる」ってレッテルを相手に貼ってただけでしょ。
人を信じようと思ったとき、
自分自身でその決心に全て責任を持たなくちゃいけないわけ。
つまりだね、
人を信じるときは、
相手がどんな奴でも構わないって覚悟、
言っちまえば裏切られても構わないって覚悟、
そういう覚悟が必要なわけ。
誰に対してその覚悟をするか決める段階でいろいろ検証するのはいいかもしれないけどさ、
でも得てしてそういうコスイことばっかりやってる奴に限ってちゃんと人と向き合う覚悟をしてなかったんじゃないかって思うときある。
人間は時に鬼にも仏にもなるってことは否定できんし、
どんなにすげい奴も衰えゆくのは必定なんだから、
信じようと思ったらのっけからそれは賭けなんだ。
そんでそれを恐れない覚悟を持った博徒だけが、人を信じることができるんだわ。わ。
堅実な付き合い、そんなもん最初からなかったですな。
ゴミですな。
みんなゴミばっかり食らってると腐れておちるよ。ぺぷ。