東北沖地震からはや2年が経ちました。
よくテレビやVTRで地震の経験や実体験が流れて、目にしたりしています。
私は、この二年経った現在でも元気だし、健康でいることをとても感謝しています。
って口で言えるのは簡単なんだけど、実際起こるのとは訳が違うわけで・・・
全く現実感がないままなのだけど、時間は過ぎてゆく一方です。
震災の事なんかをあまり気にしていないことに反省をしたい。
おそらく私の住んでいる場所も地震と火災地獄がくる危険だってあるから。
結局は自分が助かりたい理由からいろんな事が見えてくる。
結局は自分中心に事が回っているのかな・・・
良い事でもあって悪い事でもあるような気さえする・・・
実際の現地へ行って、この目で確かめて、お参りをしたいです。
さてさて・・・
講談社課題もぼちぼち、終盤に差し掛かってきています。
今回は、レベルを上げて架空の世界観を目標に気合いを入れました!
野鳥のふるさとというロゴを入れるのがお題です。
<意図していること>
・妖精のいる世界をつくりあげる。
・現実身がない設定にちゃんと土台を置く。
・個々にモチーフを用いる。
内訳
・妖精はちょうちょとしおからとんぼがモチーフ。うぐいすが梅の木にしがみつく。そこへ梅の花が散る真下には、湖がある。現実的ではない気候とは反している場面にマングローブの木が生い茂る。
という設定…
絵の世界観と配色が合っていないのが反省点。
この架空というのは絵にとってとても危険な策略です。
私は、この何年間か架空に何度と苦しまされたか・・・
話すと長いんだけど、今日はそんなお話をしたいと思います。
私が高校の予備校生時代のはなしなんですが・・・
某美術予備校に通っていたころのこと。
デザイン科と油画科どちらかで迷っている時期があって・・・
悩んだ末、油画科に入る事を決心した。
選んだ理由は単純だった。
予備校の油画科の先生に作品を褒められたことがきっかけ。
あまり考えないで自由な発想で楽しく描いていたことが、大きかったと思う。
あの頃描いていた感覚というのは不思議なもので、ほんとに楽しくて、唯一自分を満たしてくれていた。
一番自由に感じられていたし、もっと褒めてもらいたいから頑張れた。
しかし油画科に入ってからは、見方が変わった。
先生には、自分の描いた作品に釘をうたれ、自信喪失。自由に描けない苛立ちと不安で受験に望んだ。
現役で入るのが条件だった。
私は、女子美のB日程で合格することができた。
当時の合格枠は7~10倍!!
これだけは、私の中で自慢でもあるし、唯一の誇りだwww
これを思い出すたびに、自分で挑戦をしてみよう・・・と考えるようになったりする。
そんなわたしは、ご飯が食べて行けるイラストレーターになるのが夢だ!
なんだか告白してるみたいで恥ずかしい///
もどかしい。
不思議…
話は戻って、油画科時代慣れない油道具を使い先生に講評してもらうこともしばしば・・・
「お前には、言いきりが足りない。説得力とか? 何が描きたいの?」
と言われたことがあって、その頃の私は理解できないまま今よりもっと良くしようとしか考えてなかった。
というか、考えられなかったんだとおもう。
それから大学に入ってからは、描写力を高めたくて必ずモチーフを用いた。
架空なんて言葉は、頭から抹殺していたようなものだった・・・
大学である程度学べた経験から、少し成長できたことがある。
・架空というのは、危険ということへの恐れであった。
講談社課題の制作をしていて思うこと。
予備校時代に引っかかっていた、説得力とか言い切りの意味が解ってきたような気がするのだ。
あれだけ言われたから現在があるのであって、言われなかったらなにも気付かないでいた。
あれだけの憎悪がいまでは天使の光にさえおもえるww
架空というのは危険というのを取り消してもらいたい。
誰が思おう、アートの観点からして架空の解釈なんてどうにでもなるし自分がつくりあげちゃえばいいや!なんて思っていれば良いし、とにかくどうとでもなる。
でも魅せるには、かなりの時間がかかるんだってこと・・・
生きていても気づけない抽象的なこと
だから、現在より良くしようとするのかもな・・・
長くなりました
最近、ジムに通うようになりました。そしたら腰を壊しててんやわんやw
かなりスッキリします。
最後に、お♡ま♡け
愛猫三毛のブロマイド♥
おやすみなさい