しあわせの ~「道」~
神社の信仰を「神道」といいます。
「道」の文字をつけ、お寺の仏教、教会のキリスト教、他にもユダヤ教、ヒンズー教、儒教などのように「教」の文字を付けません。
日本では他に茶道、華道、書道、剣道、柔道、弓道などと「道」を付けるものが数多くあります。
「道」の理念としては、行動の中に精神的なものの重要性が深く含まれていると考えます。
つまりただ作法を覚えるとか、ただ剣を交えるとかではない、日々の鍛錬や過程の中にこそ大切なものがあるという考え方です。
ですから、神道は神社の中で行われる特別な「神事」だけではありません。
日常生活の中での実践であり、毎日の食事や勉学、仕事の中に備わっており、日々を大切に送ることが神道の基本なのです。
剣道、柔道、弓道などの武道においては、ただ勝負に勝てばいい、結果が出ればいいというわけではないのも「道」の考え方です。結果よりも過程、プロセスが大事であるということです。
もちろん結果は大事ですし、結果を出せない言い訳にプロセスの重視を使ってはいけません。しかし過程の中にこそ成長や感動、そしてその頑張りを見ていてくれる応援者が出てくるのです。
私たちの日々の人生の「道」を考えますと、仕事や家庭の中に、やはり「しあわせ」という精神的な重要なものを考えずにはおれません。
その「しあわせ」という概念は、例えば登山でいう山頂地点や電車でいう駅のような、ゴール地点などの目指すべき「点」のようなものではなく、山道などの「道」のような、線路のような、つながりのある線のようなものなのではないでしょうか。
「しあわせ」にたどり着きにくいとしたら、本来は「道」のような線状のものを、点のようにとらえるからであって、最終地点に固執しているからです。
たどりつく中での信念や手段など、自身の判断や力量が自由に選択できる中に見出すものであって、そこには努力という行動や感動という心理が十分に働き、仲間同士の助け合いがあります。
また、目指すところが同じでも、想いや伝え方が違えば全く違うことになります。これは政治や宗教の思想を例にとるとわかりやすいです。豊かな暮らしや安心安全が目的でも全く食い違ってくるのはそこに向かう手段、手法が違うからなのでしょう。
「しあわせ」は過程という「道」の中にあります。
