歌人で11人の子供を育てた与謝野晶子は、夫である与謝野鉄幹と1931年昭和6年に北海道に来ています。


 鉄幹が58歳。晶子が53歳のときです。


北大文武会が行う講演のための来道です。


 そして、二人で350首もの歌を残していました。


 温泉好きの人で登別温泉では


 地獄谷 業のけむりと なしがたし 恋の心の つぶやくものを


 という歌を残しています。


 また、函館に寄った時の夫婦の歌碑が立待岬に建っています。


 ところで、白樺派の小説家 有島武郎と与謝野晶子のプラトニックな恋もあったことを知り、与謝野晶子をぐっと身近に感じました。


 大正8年頃から出会っていたようですね。


 もっとも有島武郎はその後自殺してしまうのですが・・・