一握の砂などで有名な歌人 石川啄木は北海道各地にその足跡を残している。
1907年明治40年、新しい生活を北海道で切り開こうと渋民村の代用教員をやめ、函館に来た。
5月に函館商工会議所の臨時雇いを20日間ほどやり、6月からは弥生尋常小学校の代用教員となっている。弥生小学校には啄木の足跡があるかもしれない。
8月には函館日日新聞の記者もやり、9月には札幌で北門新報の校
生係。
早、9月末には小樽に移り、小樽日報の記者となる。が、12月には退社。ここの同僚に「シャボン玉」や「赤い靴」で有名な野口雨情がいた。
その後、旧釧路新聞社に務めるが3月には釧路を離れたいと決意する。
いやはや腰の落ち着かない人である。トラブルも多く、平穏に暮らせない性格なのかもしれない。
また、国語辞典でお馴染みの金田一京助は、啄木の先輩で家財を売ってまで金を貸していたのであった。それを遊興に使われたのではたまったものではないな。
金田一春彦氏は、幼心に啄木のことを石川五右衛門の子孫ではないかと思ったそうだ(大笑い)
そういえば野口英世も遊興のため借金をかなりしていたと読んだ記憶がある。
啄木は、26歳で東京で肺結核のため死去。友人の若山牧水も最後を看取った。葬儀には夏目漱石も参列している。
彼の遺骨は、函館の立待岬(たちまちみさき)に眠っている。
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