現在の東京都日野市石田に生まれた土方歳三。1863年文久3年2月に、将軍徳川家茂の警護のため浪士組に応募し京都へ行くことに。
8月の八月十八日の政変後、活躍が認められ新選組が発足し、池田屋事件で勇名を天下に知らしめたのは周知のことです。
池田屋事件のときに、応援に駆けつけた土方は、後から駆けつけた会津藩・桑名藩兵を池田屋に入れないようにして新選組が手柄を独り占めにできるようにしたのでした。
それで、この事件の褒美は破格のものになり、新選組が一躍有名になったのである。なかなかこんなときに機転のきく男である。
しかし、慶喜が大政奉還をして世の中は変わり、新選組は敗退していくようになる。
土方が退きながら会津まで行って戦っていたのを初めて知った。
そこもダメになると仙台から旧幕府海軍の榎本武揚と蝦夷地へ向かったのである。
最初は、五稜郭や松前城を占領したもののだんだんと包囲されていく。
土方歳三は、籠城戦を嫌って出陣し、新政府軍と応戦していたが銃弾が馬上の歳三の腹を貫いた。函館にて死亡。
京都から江戸、会津、蝦夷地へと死ぬまで徹底して新政府軍と戦い抜いた人間であった。
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