新興宗教創価学会には、三宝が ひとつもありません。

新興宗教創価学会には、三宝が ひとつもありません。

創価学会は、元々は末法の御本仏日蓮大聖人の在家の信者の団体でした。
平成3年に日蓮正宗から教義逸脱等により破門され、今では 仏教的・平和主義的・人道主義的等の雰囲気を持つ 政治的な営利団体へと変貌しました。
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御書解説―背景と大意


諌暁八幡抄(御書 1530頁)

(諌暁書)


一、御述作の背景


 本抄は、弘安三年(一二八〇)十二月、大聖人様が 五十九歳の時に、身延でお認めになられました。

 御真蹟は 総本山大石寺に格護され、毎年春の御霊宝虫払大法会の御真翰巻返しの儀において、御法主上人猊下より御披露される 長編の御消息です。


対 告 衆


 本抄の対告衆は 明らかではありませんが、門下の弟子檀那 一同に対して、神天上の法門を示され、また、大聖人様の 久遠の本地を密意に示された御抄です。


背 景


 前御法主日顕上人猊下は、昭和五十七年の御霊宝虫払大法会の御書講の砌、

御真蹟の末尾に、

「建武第三丙子(ひのえね) 六月六日 読誦し奉り畢(おわん)ぬ 日道判」

と、日道上人の御筆跡で 認められていることを示されたあと、
「この書き入れは、御書を心肝に染めよ、との日興上人の指南を基として 御書の拝読が 種々の形で行われたことを知る 証左となる」(同)

と御指南されています。


 弘安三年 十一月十四日、鎌倉の 鶴岡八幡宮が炎上しました。これは『四条金吾許御文』に、


「八幡大菩薩の御誓ひは 月氏にては 法華経を説いて 正直捨方便と なのらせ給ひ、日本国にしては 正直の頂にやどらんと 誓ひ給ふ。而るに去ぬる 十一月十四日の子の時に、御宝殿をやいて 天にのぼらせ給ひ」(御書 1524頁)

と、八幡大菩薩が 謗法の国土を嫌って、天に去られたことを示されています。


 しかし、八幡大菩薩は、霊山において 正法の行者を守護する誓願を立てていることから、日本国を 妙法によって救おうとする 大聖人様をはじめ、門下を守護しなければ、自らの誓願に 違背することになります。国のため、民のため、法のため、速やかに 為政者の謗法を治罰して、末法の法華経の行者を守護せよと、厳しく諌暁されたのが本抄です。


 時は 蒙古の再度の襲撃が予想され、人々は不安におののき、幕府も防備に 総力を挙げていた、緊迫した社会情勢でした。


二、本抄の大意


 はじめに、広く 天神の威力増減を示され、仏の出世によって、天神が 威光勢力を増長したことを示されます。次に その仏の説かれた経に 五味の味わいがあることを示され、大聖人御在世の 学者・学僧がそれを弁えないことを御指摘されます。
 そして、それがために 天神は威光勢力を減じ、しかも 一国が謗法の有り様であるにもかかわらず、謗法を諌めるどころか これに加担し、仏前で正法の行者を守護するとした 自らの誓願に背く 八幡の失を糾弾され、さらに経文を引証して その失を諌められます。
 次に 八幡大菩薩の本地を示され、前生の善根によって 大王と生まれたが、今はその福も尽き、また、謗法を責めないために 天の責めを受けて 宝殿を焼かれたのであると 諌暁されます。
 さらに、伝教大師以後の 叡山の座主をはじめ、諸宗の謗法を指摘されるとともに、八幡大菩薩が 霊鷲山で「法華経の行者を守護する」と誓ったにもかかわらず、法華経の行者である 日蓮大聖人を守護しないが故に、天の責めを蒙ったことを指摘され、古の国主が 釈尊に敵対した失と、当時の国の 悲惨な有り様を述べられます。
 そして、氏神の故事、経文、諸宗の謗法、御自身の 身命に及ぶ大難等、具体的な事実を挙げ、重ねて 謗法者を守護して、法華経の行者を守護しない 八幡大菩薩の大科を 諌暁されます。
 次いで、尼倶律陀婆羅門の故事を引かれ、門下に 八幡諌暁の必要なることを 教示されます。さらに 大聖人様の正法弘通は、日本国の衆生を不憫と思う故であることを 明らかにされ、それにもかかわらず 八幡が謗法者を守護し、正法の敵となり、正法の行者を迫害する故に、これを責めるのであると述べられます。

 また、大聖人様の強折を誤解する 一部の弟子に、折伏の慈悲行たる所以を示され、御自身が末法の御本仏たることを 密意に示されます。


 次に八幡大菩薩を責めるのは、敵だからではなく、諸経論によって、誠の願いが叶わないときは 守護神を叱るべき旨を 教示されます。そして、大難を受けても 法華経を説いて 邪宗邪義を破折するのは 一切衆生を救うためである、と仏の大慈悲を述べられ、八幡大菩薩が 必ず法華経の行者を 守護しなければならないことを説かれています。


 最後に、三大秘法の妙法が 仏法西漸の定理により、中国、インドへ流布され、広宣流布されていくことを 明かされています。


三、拝読のポイント


 第一に、神天上の法門を示されたことです。


 『立正安国論』に、


「世 皆 正に背き 人悉く 悪に帰す。故に 善神国を捨てて 相去り、聖人 所を辞して 還らず。是を以て 魔来たり 鬼来たり、災起こり 難起こる

(御書 234頁)


とお示しのように、仏法が乱れ、正法が衰えるとき、善神は 法味に飢えて 守護の本土を捨てて、天界の本地へ去ってしまい、後には 悪鬼・魔神が入れ替わり、国中に 種々の災難が起こることです。


 では、諸天善神はどこにも在(ましま)さないのかといえば、本抄に、


「正直の人の頂を以て 栖と為し、諂曲の人の心を以て 亭らず」


とあるように、「正直の人」の心に宿るのです。正直とはもちろん、大聖人様の仰せのように 爾前迹門の謗法を捨て、法華本門の三大秘法を信ずることです。


 一般日蓮宗では、「神が天上に還っていても、その祠に向かって法華経を読めばそこへ神様が帰ってくる」という義を立てますが、それは先の『立正安国論』や、本抄を拝すれば、明らかに 間違いであることが判ります。私たちは、本門戒壇の大御本尊を信じ奉り、本門の御題目を唱え奉るとき、諸天の加護のあることを 再確認しましょう。


 第二は、大聖人様が 末法の御本仏であるということです。諸御書に 大聖人様は、八幡大菩薩の本地は 教主釈尊であるとお示しです。

本抄にも、


「本地は 釈迦如来にして、月氏国に出でては正直捨方便の 法華経を説き給ひ、垂迹は 日本国に生まれては 正直の頂にすみ給ふ」


と、八幡大菩薩の本地は 釈尊であるとお示しですが、その後に、


「此の大菩薩は 宝殿をやきて 天にのぼり給ふとも、法華経の行者 日本国に有るならば 其の所に栖み給ふべし」


と仰せのように、八幡大菩薩は 御本仏大聖人様所住のところに在すのです。


 私たちは、法華経の、
「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し」(開結 四六二頁)

の御文を 確信を持って拝すべきであります。


 第三に、本抄の最後に、


「天竺国をば 月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに 聖人出で給はざらむ。月は西より 東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき 瑞相なり」


と仰せになり、仏法西漸を 示されています。


 御文の意は、天竺国をば 月氏国ということは釈尊が出現された故であり、また我が国を 古来より 日本国というのは、必ず聖人が出現せられる故に、嘉みされた名なのである。月が はじめは西天に現れ、それが 東の空に移っていくように、インドの釈尊の説かれた仏法が、月氏より東へ流れて 中国、日本に至った。日が東より出ることは、日本に出現した大仏法が やがてインドへ弘まってゆく 瑞相であると いうことであります。

 月と日の対比は、釈尊の 脱益の仏法を 月の光に譬え、その御利益は 在世八年のみであることを示され、大聖人様の 文底下種の仏法は、赫々たる光明をもって 末法万年の闇を照らし、一切衆生を導くことを 明らかに示されております。これは 真の広宣流布の意義を 説かれたのであります。


四、結 び


 総本山においては、毎年の夏期講習会では「もったいなくも御法主上人猊下より、直々に甚深の御講義を 賜ることができます。これは、私たち 法華講員が、真の日蓮正宗の信徒として、信行を磨き、成長できるようにとの 大慈悲であると確信いたします。


 講習会では、一言も聞き漏らすまいとの決意で、勇んで参加してまいりましょう。そして、その成果を 折伏・再折伏に 存分に発揮し、諸天の御加護を確信し、御報恩謝徳の信心を貫いていこうではありませんか。



        ………φ(._.)     南無妙法蓮華経。