御書解説 ―背景と大意
聖人御難事(御書 1396頁)
一、御述作の背景
本抄は、大聖人様が御自ら、出世の御本懐を遂げられた時を、「立宗より二十七年を経た弘安二年十月である」、と仰せられた 唯一の御書として、数多い御述作の中でも、特に重要な位置を占めています。別名を『与門人等書』とも言います。
対告衆
本抄の宛て名書きに「人々御中」とありますが、そのあと「さぶらうざへもん (三郎左衛門)殿のもとに とゞ(留)めらるべし」と但し書きされているところから、四条中務三郎左衛門尉頼基のもと、すなわち 四条金吾をはじめ、鎌倉在住の信徒や 有縁の弟子 一同に対して与えられた書であることが明らかです。
熱原法難の渦中にあって、弟子檀越に対する種々の迫害が予想される時、四条金吾をはじめとする信徒に、この法難の意義を知らしめ、正法護持と不惜身命の信心を督励されたのです。
背景
大聖人様が 身延に入山された 文永十二年(一二七四)の秋ごろから、日興上人は駿河、富士方面の大折伏を敢行されました。特に、富士熱原郷(現在の静岡県富士市厚原周辺)にあった滝泉寺からは、多くの僧侶や信徒が改宗し、正法に帰依する人々が出てきたのです。
一方、この改宗を快く思わない 滝泉寺の院主代行の行智らは、陰湿な策謗を巡らし、大聖人の教えに帰依する人々に対して、様々な迫害を加えてきたのです。
弘安二年 九月二十一日、熱原の百姓、神四郎を中心とした 二十名の信徒が、行智の奸策によって捕らえられ、鎌倉に押送されるという熱原法難の大事件が起きたのです。
この事件の詳しい状況は、日興上人より 直ちに 身延の大聖人様に御報告されました。大聖人様は、この法難のもつ意義を 御化導の上から深く鑑みられ、まさに出世の本懐の時が至ろうとしていることを観ぜられるとともに、法難の激化を予想し、弟子信徒に対して団結と不退の信心を促されたのが本書であります。
囚われの身となった神四郎等二十人は、平左衛門尉の 激しい拷問を受け、改宗を強迫されましたが、誰一人として退転する者はなく、毅然とした態度をもって、唱題を続けたのです。
しかし、妙法信仰に対する怨念に燃え、狂乱の極に達した平左衛門は、神四郎、弥五郎、弥六郎の三人を、無惨にも斬首してしまったのであります。
この大法難の最中の 十月十二日、大聖人様は、身軽法重・死身弘法の信仰を貫く 熱原の法華講衆を、大聖人己心の願主・弥四郎国重と表され、末法万年に亘る 衆生救済の根本法体、下種仏法の究竟中の究竟である本門戒壇の大御本尊様を御建立なされたのであります。
三人を斬首した平左衛門は、この法難から十四年後、幕府謀反の罪により処刑され、一族は滅亡してしまいました。
二、本抄の大意
はじめに、大聖人様の御化導が 建長五年四月二十八日に始まったことを述べ、釈尊、天台、伝教が それぞれ出世の本懐までの年数を挙げて、「余は二十七年なり」と仰せられています。
次いで、『法師品第十』の
「如来現在。猶多怨嫉。況滅度後」
の文を挙げ、釈尊在世の 九横の大難を超える大難にあう 法華経の行者が 必ず滅後に出現すると説かれているが、竜樹、天親、天台、伝教でさえも、そのような大難にはあっていない。このままでは、釈尊の言葉はすべて虚妄となってしまう、と述べられています。
その上で、大聖人御自身が 二十七年間にあわれた 数々の法難を披瀝され、釈尊の難に匹敵するか、あるいは それ以上かは 直ちに比べがたいが、竜樹、天親、天台、伝教の受けた難を はるかに超えた 大難であると仰せられ、釈尊の法華経を実語たらしめたのは「日蓮一人なり」と断言あそばされています。
続いて、大事の法華経の行者を迫害する者は、はじめは何事もないように見えるが、必ず現罰を蒙り、滅び去ってしまうのである、と述べられ、その法華の現罰に 総罰、別罰、顕罰、冥罰の 四つがあることを明かされています。
そして、大聖人様の弟子信徒は、師子王の心を持ち、いかなる脅しにも怖れてはならない。少しでも弛む心があれば、魔のつけいるところとなるであろう、と勇猛心を振るって 法難に立ち向かうことの大切さを教示せられ、さらに 大難が現実のものとなっても、妙法の信仰をする者は、その功徳によって 必ず成仏することができる、と励まされています。
最後に、法難の中にある 熱原の法華講衆に対しては、心から励まし、法難を乗り越える勇気を与えなさい、と指示され、これまでの法難ですでに退転した 名越の尼、少輔房、能登房や、また 今回の法難で退転し不慮の死を遂げた 三位房らと同じような轍を踏んではならないと戒められています。
三、拝読のポイント
本抄に示された「余は二十七年なり」との文意について、不相伝家の者たちは、大聖人様が宗旨建立以来、二十七年間にわたり 大難の連続であったことを述懐されたお言葉と解しております。しかしこれは、大聖人弘通の法門と 御化導の深義に迷う皮相の見です。
大聖人様は、釈尊、天台、伝教の 三国三師の出世の本懐と 大難とを対比して説かれていますが、あくまでも 法華弘通の本懐を遂げるまでの年数を挙げているのですから、この「余は二十七年なり」との文意は、大聖人様の 出世の御本懐を述べられた御文と拝すべきであります。
すなわち、大聖人様は御自らの法難と対比して、まさに 正法護持の弟子信徒の輩出とともに、出世の御本懐の時期が 熟したことを御内示あそばされたものと拝されます。
大聖人様が 出世の御本懐を成就あそばされる要件について、御法主上人猊下は
「能化の仏・日蓮大聖人は 自ら 三大秘法建立のため〝大難四箇度 小難数を知らず〟といわれる 忍難の弘通をあそばされましたが、ただ能化の死身弘法のみでは 広布の根本となる御化導の法体は成就いたしません。大聖人の不自惜身命の弘通に応えて、所化の弟子檀那が 身命を捨てて 大難を恐れず 正法を受持するところに、九界即仏界、仏界即九界、真の本門下種・事の一念三千が、弘通のうえに成就するのであります」
と御指南あそばされ、御本仏大聖人様の 死身弘法の御境界と、能所一体となる 弟子信徒の出現がもっとも大切であると仰せです。
したがって、一文不通の農民ながらも、不自惜身命の信心を身に行じ、正法を護持する 清浄の信徒が出現したことより、大聖人様はまさに出世の御本懐の時を迎えことを感じられ、
本門戒壇の大御本尊を 御建立あそばされたのであるとお示しであります。
私どもは、熱原の法華講衆が 身を挺して示した 不自惜身命の信心、誰一人として退転することがなかった 異体同心の信心、僧俗和合しての正法護持の信心を鑑として、大聖人様の御意に叶う信心修行を志し、精進することが肝要なのです。
………φ(._.) 南無妙法蓮華経。