宇都宮市の興禅寺へ。市内を南北に流れる田川沿いを歩いて向かいました。

 

 

宇都宮貞綱公像がお出迎え下さいました。

栃木県民の方達もこの人物を余り知らないんではないでしょうかね。

僕自身がよく知らなかった(汗)。

 

  

 

蒙古襲来、阪神タイガースのチャンステーマじゃなくて、アジアの覇権を確立した元王朝・大モンゴル帝国が、皇帝フビライ・ハンの号令の下ついに我が国への攻撃を開始、日本中が震撼しました。神風なんてまだ吹くかどうか誰も分かりませんでしたから。
時の政権・鎌倉幕府は弘安の役においてこの宇都宮貞綱公を元寇討伐軍の総大将として派遣したそうですね。執権・北条時宗公の信頼を一身に背負った坂東武者。

 

  

 

興禅寺はその子息である公綱公と合わせて菩提寺だそうです。宇都宮公綱公もまた太平記に描かれた文武両道の名将です。楠木正成公をして「坂東一の弓取り」と言わしめ、実際に両者は対戦しているそうです。芳賀氏、益子氏で構成された紀清両党は勇猛で鳴らしたらしく太平記にも書かれていました。稀代の名将・楠木正成公の前に連敗続きの鎌倉幕府軍でしたが、宇都宮勢の参戦でようやくまともに相手にされたんでしょうね。

宇都宮公綱公はその後建武新体制の重職に就き後醍醐帝を御支え奉り、足利尊氏公とも激戦を繰り返したそうですよ。

 

 

  

 

宇都宮家は後に中興の英主と言われる成綱公の代で、佐竹氏、岩城氏、那須氏との戦いに勝利を重ねて北関東の覇権を制したそうですが、戦国時代以降その後継の代ではどうもパッとせず北条氏、上杉氏らの前にも押され気味だったようですね。

 

  

 

その後は宇都宮城址公園からちょっと街中を歩いてみようかな、と。

豊臣秀吉公が小田原城の北条氏をその軍門に降した後、この宇都宮城を本営として奥州仕置を執り行ったそうです。奥羽の有力大名がこの宇都宮城まで参陣して天下人・秀吉公への臣下の礼を済ませた訳ですね。なお、当時の宇都宮城主は宇都宮国綱公でしたが、後に改易の憂き目にあってしまします(恐)。

 

 

江戸時代に入り本多正純公による釣天井事件は有名ですが、幕府内の権力闘争で敗れてしまったということでしょうか。父・正信公と同じく親子で徳川家康公から絶大な信頼を得た謀臣もまた、その政治力を恐れる一派に狙われてしまったんでしょう。大久保長安事件で人望厚き大久保忠隣らを追い落としてましたから、反感もかなり買ってたんだと思います。
徳川秀忠公の参謀格だった土井利勝とか酒井忠世辺りの筋書きじゃないでしょうかね。

 

  


北関東の要、宇都宮はそれだけ大切な拠点だった事が分かります。そもそも、釣天井なんてどう考えても捏造というかあり得ない(笑)。あ、ちなみに釣天井はありませんよ。

ちょっと残念ながら本丸御殿は無いんですよね~。確か戊辰戦争で焼失したんだっけか。

 

  

 

二荒山神社は大変由緒ある神社です。後に藤原秀郷公、源頼朝公、徳川家康公ら有史に残る偉人が戦勝祈願に参拝した記録も残っているそうですよ。

宇都宮家の始祖と言われる藤原宗円公はこの神社に所縁があるそうです。

 

 

 

ちなみに3代目の宇都宮朝綱公は源頼朝公に「坂東一の弓取り」と称賛されたそうですが、その一方で和歌にも長け宇都宮歌壇なるものを確立したそうです。源平合戦の時期は全然詳しくないんですが、さぞかし高潔風雅な名宰相だったんでしょうか。

 

  

 

それにしても宇都宮って街はやっぱりいいな~♪

 

  

 

中学生の頃はよくチャリンコで遊びに行きましたね(笑)。

だけど、お酒を呑める年齢になってから遊んでないんですよ。

餃子だけじゃなくジャズやカクテルも有名なお洒落な街なんですね。

 

  

 

確か街コンが発祥した街ですよね。
20代にもっと遊びたかったかな(笑)。

 

 

今からでも遅くないかな(笑)?

 

2017年8月12日

 


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