すみません、先にお伝えします。
長いです
大人になってから、仲の良い姉妹って
羨ましかったから。
何ヶ月目かの妊婦検診で
産まれるまで楽しみにしていたかったのに
エコーにばっちり写ったお○ん○ん
男の子を育てるんだ、私…
全然想像がつかなかった。
今度は自然分娩で!
まだ情報も少ない1999年、一度帝王切開したお腹を
自然分娩でOKと言ってもらえる先生に
願い叶わず、出会えなかった。
総合病院に入院し、予定帝王切開で出産。
あれ、なかなか赤ちゃんに会えない。
娘の時は、当日会えたのに。
看護師さんが言葉を濁す。夜、眠れなかった。
翌日、生後1日目の息子と出産以来の対面。
…が、小さな小さな右足にギブスが巻かれている。
先天性右内反足。1000人に1人の大当たり。
先生は明るく「治していきましょうね。」と。
スマホなど無く、調べる術もなし。
病室で一人、窓から赤い夕焼けを見て、泣いた。
実はあの時、意地を張って自然分娩OKの病院を
探さなくて良かった。
先天性内反足って、一刻も早い治療が
その後の回復に左右するらしく
同じ病院の整形外科で
しかも経験豊富な先生、技師さんとの出会い有り。
数ヶ月のギブスの後、装具装着で治療。
3歳くらいで一応、ほぼ完治した。
青年時の再発の可能性有りと言われていたが
幸い野球に打ち込めるほどの回復で問題なし
手のひらに収まる大きさの装具は、闘いの証
そんなことがあり
健やかに、晴やかに育ってほしいとの思いを
名前に込めた。
二人目の為、夜泣きしてもドライブになんて
行けるはずもなく、幸い母乳が豊富だったので
「うぅ〜ん」と起きそうになれば
すぐに乳を含ませるという催眠療法が日常となる
同じアパートに住んでた龍くんと同級生。
彼はヒーロー好き、息子はトーマス好き。
気が合わないと思いきや
トーマスに何ちゃらマンをまたがせて
パーシー(と何ちゃらマン)との戦いを
楽しんでいた。
公立の幼稚園で毎日泥んこ遊びに夢中になる。
息子作成の泥団子が幼稚園の古本先生の頭に落ちる。
(2階からわざと落としたのは息子)
名乗り出れずそのことを何日も言い出せずに迎えた
節分前日の号泣
「おに(鬼)さん来る?」
経緯がわかるまで、語彙力の無い園児に説明をさせることが大変だった
そして、親子で謝罪からの和解
スイミングで体力作り
友達が数人していた。
将来泳げた方が良いと、1年生から始める。
(付き添いのつもりの娘も4年生から始める)
見学する私をチラチラ見ながら
ニコッとする瞬間がたまらなかった
(余談だが、前出の娘の昇級は目を見張るスピードだった
息子は、標準
)
トマトが嫌いで、給食で時々出るミニトマトを
ポケットに隠して帰宅。
上手くいくとエスカレートし(犯罪者の心理か)
ある日担任に見つかり、給食室へ強制連行。謝罪
別の学年では、優しい先生に
プチトマトをハサミでカットしてもらい
「小さいから大丈夫よ」と励まされる。
中の汁が嫌なのにと、帰宅して私に訴える
また別の日には、姉の攻略方法を伝授され
丸呑みも試みた
無理だったらしい。
窒息しなくてよかった。
5年生の担任に
「他の野菜で栄養をまかなえばそれでヨシ!」
と、許可取得。好きな子にあげれる様になる
3年生から軟式野球を始める
小さい頃からカープの試合を観に行っていたし
龍くんがカープにとても詳しくなり
息子も影響されていったのがきっかけだった。
ここからは、家族で頻繁に行っていた
キャンプにも行けず
土日祝日は、全て少年野球に捧げる日々。
娘も時々同行し、他のメンバーの兄弟と遊んだり
家族ぐるみの付き合いが始まる
俗に言う反抗期もちゃんとあった
中学2年頃。
クソババア!って言い放って学校へ向かう息子。
曲がり角でチラッと振り返った顔に
「ヤバッ
」って書いてあった
私、ママ友と、かりゆし58の「アンマー」を
カラオケで泣きながら熱唱し、ストレス発散

夜、お風呂入れとか宿題しろとか
イライラしながら言いたくなかったので
ママ友と夜のウォーキングを始める。
帰宅までの2時間で、たいがい
食事、入浴は終わらせていたし
私も痩せてWin-Winだった
野球の話に戻る。
中学の野球をどうするか。
息子以外みんなクラブチームへ所属したが
うちは家庭の事情
で断念。
野球がやりたいなら、部活があると入部。
幸い経験者の顧問に恵まれ、質の高い指導を受ける。
2年夏、部長になる。
多感な時期の、まとまらない部員に悩む。
リーダーの難しさを嫌という程学んだ。
この頃娘が、高校のバスケ部で
試合に勝てない悔しさと、部員のやる気の無さに
同じく悩み、よく情報共有していた。
そして、高校選び。
姉からのアドバイスで決心した様だ。
部員全員が高い意識を持つのは強豪校しかない。
自分の実力でレギュラーを狙える筈もないが
それでも、高い意識の環境で野球をしたい。
中学の経験から部長をサポートする自信がある。
そんな志を持ち、3年春。広島商業を目指す。
公立で商業科だと、就職枠もあるだろうという
理由。あとはお金大好きだったから
…が、成績が少し足りなかった
そこからの1年足らず、頑張った。
学資保険を解約し、先行投資で塾代に
夏も冬も合宿に参加し、これぞ受験生!
って姿を見せてくれた。
(周りの志望高と一人だけ違ったのはご愛嬌
)
体力(体重)も必要だと、入学前の半年で
10kg増やした。
そんな努力が実り、合格
からの地獄の日々

「ニ度と戻りたくないけど、最高の宝物」
と息子が高校3年間を振り返る。
(母も頑張った
そして最高に楽しかった
)
予定通り家庭の事情
で大学進学は断念。
男の子だし、親としてはかなり悩んだが
本人はキッパリ「早くお金を稼ぎたい」と。
長期的な話も一応したが、意思は固かった
幸い、野球部出身の進路、就職組も
恵まれていて、有難い職場に就職できた。
職場でも野球チームがあり
時々、楽しみながらリーグ戦に出かけている。
幼なじみの龍くん。
同じ幼稚園、小学校、中学校で
一度も同じクラスになれず
そしてなんと入学した高校も同じ
3年間、そこでも違うクラスだったが
唯一、自宅から🚴♂️通い組の体験入寮(2ヶ月間)の
部屋が同じだった
笑
龍くんも就職したため
幼なじみを超えた身内の様な存在となっている。
最近は趣味のゴルフの輪が広まり
地元の友人や高校の友人達ともよく行っている。
もちろん龍くんも
スコアが上がったと、楽しそうに話してくれる。
いつか、親子でラウンドしたいな
私の乳がん告知は、家族のグループLINEで
明るくサラッと報告した。
その時の息子の返事は「治るん?」で
「治るよ!」と返したら、「わかった!」
の一言だったが
帰宅後私に、ステージ1は生存率がどうとか
自分なりに調べた情報を
山の様に聞かせてくれ、励ましてくれた
自分に言い聞かせる様に聞こえたのは
気のせいだったかな
男の子も、いいもんだ
子育てが出来た幸せに感謝。
🥛コーンフレーク…牛乳ジャー
)長文になりました。
最後まで読んでくださって
ありがとうございます
続く
2021.7.10

