2008年1月28日
父の命日。
 
県北にある精神科の病院で。
最後は心不全。
きっかけは、2年前の脳梗塞だった。
 
麻痺は残らず、その代わり
間もなく認知症を発症。
専門の病院を受診すれば
状況は変わっていたのかもしれないが
最初の病院で、そのままお世話になる。
 
薬が合わなかったのか
父の宿命だったのかは今となってはわからないが
その認知症は、階段を駆け降りるような勢いで
悪化していった。
 
2006年12月
新築した自宅に私の両親が同居することに。
旦那と旦那の両親に感謝🙇‍♀️
 
2007年初夏
自宅では介護できないほど悪化。
 
父は母のことをすごく愛していた。
可愛さ余って憎さ百倍なのか
精神異常になってからは
寝ている母に暴力をふるうムキー
孫(当時8歳の息子)をゾンビのように
追いかけてギャン泣きさせる滝汗
気晴らしに散歩に連れ出せば
自販機のビールをちぎった草で買おうとするあせる
なだめて帰ろうとしても凄い力で
ぐいぐいひっぱり、車道に出ようとする。
 
検査入院した母が不在の8月
歴史に残る
広陵高校と佐賀北高校の甲子園決勝の日。
野球少年の息子が楽しみにしていた試合を
草津病院の閉鎖病棟で1ヶ月入院し
3日前に退院してきたばかりの父と
娘と息子の4人でテレビ観戦していた。
 
ダイニングテーブルの椅子に座らせた父
薬が効いて大人しくなっているが
これまでの記憶がよぎる
いつ動き出すかわからない緊張感
ソファーに並んで座ってテレビに向かう子供達
父がテーブルに突っ伏して
ひっきりなしに出るよだれを
タオルじゃ足りないから
洗面器を床に置いてよだれ受けにして
「こりゃ楽だビックリマーク」と
明るく明るく振る舞い
子供達もガハハと笑った爆笑
アーカイブであの試合が流れる度
あの場面が蘇る。
(乗り越えた今は、懐かしい思い出おねがい
 
 
コンビニのバイトからの帰り
母が、父ともみあっていた。
「爺ちゃん殺してうちも死ぬ!」
その日でバイトを辞める決心をした。
 
 
その後
沢山の方に迷惑をかけて
いっぱい助けてもらい
2007年12月
なんとか父を、お任せできる病院にたどり着く。
2ヶ月間
大変お世話になった先生と
看護師さんには感謝してもしきれない。
 
亡くなった時、暴れて顔をぶつけて
青あざをたくさん作っていたけど
最後のお別れの時
不思議とあざが消えて
穏やかな、発症前の父の顔に戻っていた照れ
 
 
父もしんどかっただろうな。
みんなお疲れ様
 
と思った矢先…
 
今度は旦那が鬱にガーン
 
 
 
続くダウン2008.1.28