僕のユニットで今月入ってすぐ転倒してしまったばーちゃんがいる。
朝方4時。
僕はその時、宿直で爆睡してる中での出来事だった。
宿直室の内線が鳴り
ビックリして目が覚めた僕は電話にでて
頭がボーっとする中で転倒の知らせを聞いた。
急いでユニットに行くと
ばーちゃんは右こめかみを保冷剤でクーリングしながら左脛の皮剥けの止血をされていた。
状況をユニット職員に確認すると
僕の経験上、え?と思う内容を報告された。
その時の僕は眠さで怒る気力もなくて
頭部外傷のため看護師へオンコールするよう指示を出した。
その後、看護師が施設まで来てくれて処置してくれた。
次の日は
ばーちゃんはニコニコといつもと変わらない顔で笑って『痛くないから大丈夫だよ』と僕に言った。
それからはいつも通りのばーちゃんだった。
何事もなく毎日を過ごし
26日の朝
僕はまたしても宿直で会社にいて
朝一でそのばーちゃんと会話をした。
『おはよう。気をつけて歩いてね』
『いつも心配してくれてありがとう』
そんな何気ない会話。
いつもと変わらない一日の始まり。
家に帰って寝て
また夜、夜勤で出勤すると
そのばーちゃんはいなかった。
夕食後に救搬したとの話があり
いきなり全身硬直の状態が起き、ボーっとして会話も成り立たない、3回の嘔吐。
そのうち職員の声かけに対して返答もなく意識もないに等しい状態だったそうだ。
何も知らずに夜勤にきて
朝は元気に挨拶したのになんで急に。
転倒してたからそこに因果関係があるかもしれない。
もしそうだとしたら
転倒させてしまったのが僕じゃなくても
ユニットの責任者として申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
これはユニットとして職員の管理不足であり、僕の落ち度である。
22時頃
相談員から報告があり
急性硬膜下血腫の診断あり右脳1/4が出血していて左脳を圧迫している状態であること
体の左側はほぼ動かず右側はビクつく程度の反応のみで意識なしということ
手術するしか方法はないが家族の意向は延命はしない、手術もしないということ
家族の意向を踏まえると今は血圧を下げる点滴を打つこと以外は何もできないということ
そして、夜を越せる可能性は極めて低く覚悟しておいてほしいとの話があったことを聞かされた。
人の命というものは
こんなに急に、いきなり目の前から姿、形を消してしまうかもしれないぐらい儚いものなんだと感じた。
なんだか時間が長く感じながら夜勤をこなした。
夜勤が終わって家に帰って
また夜、夜勤で会社に行くと
そのばーちゃんが亡くなったとの報告をされた。
26日の朝8時まで生き延びることができたそうだ。
家族に見守られながら旅だてたこと
それだけは本当に良かった。
ばーちゃんらしく最後まで周りに気を使っていたのかもしれない。
家族が来るまでは頑張って生きてくれていたのかもしれない。
今回、家族葬のため告別式も早く今日の昼に行われた。
僕は施設長から許可をいただき
告別式に参列させてもらった。
最後に顔を見て
ばーちゃんに花をたむけて
あまり苦しそうな顔ではなかったから
よかった。
告別式のあと施設長とこんな話をした。
転倒していることが原因だったんだろうか。
そうでなかったとしても、少なからずダメージを与えそれが引き金になったのではないか
そう思ってしまって仕方がないと。
施設長は優しいから
僕を気遣ってくれたんだろう。
ばーちゃんがうちの施設で
僕のユニットで過ごした3ヶ月半。
楽しかったのだろうか。
僕のユニットで生活してどう思っていたんだろうか。
今はばーちゃんの声すら聞こえません。
ばーちゃんの気持ちも伝わってきません。
でも
ばーちゃんが先日、施設長にこんな話をしていたらしい。
『ここは職員さんも優しい人ばかりで
過ごしていて楽しくて
こんないいところを紹介してくれてありがとう』
もっとばーちゃんがやりたかったこと叶えてやりたかった。
山登り、図書館、カレー作り。
やりたいって言ってたこと、行きたいって言ってた場所、出来る限り叶えてやりたかった。
急すぎる別れを僕は受け入れなければいけない。
ほんの数ヶ月しか一緒にいられなかったけど
僕はばーちゃんとの思い出を胸に
前を向いて気持ちを切り替えていかなければいけない。
僕は責任者だから
誰よりも先に前を向かなければいけない。
でも
数日は余韻にひたらせてくれ。
ばーちゃんの名前も数日はそのまま残していてもいいでしょ。
ばーちゃんの死を悲しむより
ばーちゃんへの感謝を込めて介護という仕事とこれからも向き合っていこうと思う。
91年という長い年月
生きていてくれてありがとう。
ばーちゃんのご冥福をお祈り申し上げます。