市役所でマイナンバーカードを更新した際、窓口の担当者に「中村さん、次は5年後です」と言われました。その言葉が私の胸に突き刺さり、私はすでに80才を過ぎているので果たして自分は生きているだろうか、あるいは元気でいられるだろうかと思い「やり残した事は何もないかな」と考えた時、脳裏をよぎったのは私を裏切った4人の部下達の事でした。私が心血を注いで築き上げた会社を彼らは「社名」を変えただけで乗っ取り、今や平然と取締役に収まっている事に対していきどうりを感じ、このままでは死ねないし、会社の為に人生を捧げてくれた弟や、中神、小田の顔が頭に浮かび、彼らの無念を晴らすためにも今すぐ「報復」に動かなければならないと心に誓いました。現在の葬儀業界において葬儀社が最も苦境に立たされているのは明白です。葬儀の低価格化や、簡素化が進んだ事に加え、都内で6ヶ所の火葬場を運営する「東京博善株式会社」が自ら葬儀業界に参入した事が決定打となり、各火葬場に小規模の葬儀式場を作った事で都内の葬儀社はなす術のない状況に追い込まれているのは明白です。
こうした状況下で私を裏切った4人の部下の「社名」を変えただけの会社に最大の痛手になるのは、「金融機関」からの融資が途絶える事ではないかと思いました。そこで私はあえて私のブログで当社が「住吉会」の本部指定葬儀社で古くからの深い関係性について公表する事にしました。もし「金融機関」がこの会社がヤクザと「密接関係者」と認定されたら一切の取引を停止、解消するという極めて厳しい措置をとるからです。例えば預金口座の解約、融資の打ち切り、新規の取引はすべて断られてクレジットカードも使えなるからです。すべての条件に当てはまるのですがただ一つ気になる事がありました。それは当社が「住吉会」の本部指定葬儀社を20年以上努めてこられたのは、本来ならば警視庁の「密接関係者」のリストに掲載されていれば、これ程長く継続する事は不可能なのです。もし警視庁が意図的に当社を「泳がせていたら」当然「密接関係者」のリストに乗っていない可能性がある訳です。そうすると「金融機関」は警視庁のリストに乗っていないから安全だと判断する可能性もある訳です。
その様な懸念はありましたが先ずは「金融機関」に当社の実態を知らせる事にしました。今頃は新宿に本店がある「S信用金庫」は真剣に調べていると思います。「金融機関」の場合は過去にその様な「密接関係者」に融資をしたら、金融庁から調査が入る事もあるのです。そして偽造された「株式譲渡契約書」に基ずいて株主総会が開催され、取締役を解任された場合、「株主総会決議不存在確認」の訴えを提起する事が可能で、この訴訟には「時効」が無いのです。その為にいつでも争う事が出来るのです。この訴訟の事実が「S信用金庫」に知れ渡れば融資の停止や拒絶といった厳しい判断が下されるのが高いので、まずこの事をやったのです。それに「社名」を変えた会社は、令和2年に事業用で額面額1億2千万円の融資を受けていますので、1億円で1階に倉庫、2階に事務所を作ったのですが、直ぐにコロナ過になったので、おそらくコロナ過の優遇措置を受けて利息のみの支払いを受けたと思いますので、おそらく現在は「S信用金庫」からの借入残高は8千万円近くあると推定したので、「金融機関」に対して行動を起こしたのです。
現在営業をしている葬儀社で8千万円近い借入金があったら大変だと思いましたので、まず「報復」の第一弾としてやったのです。ところが先日かって当社で働いていた元社員から1本の電話がありました。彼が友人に私のブログを見せたところ「お前、こんなに恐い葬儀社で働いていたのか?」と驚かれてしまったそうです。確かに前回のブログの投稿では当社と「住吉会」の深い関係について触れましたが、それだけ読むと当社は「住吉会」の葬儀ばかりしている会社だと誤解させてしまったのかもしれません。実際には「住吉会」の葬儀は当社のほんの一部にすぎません。「住吉会」の仕事の核になる大部分は私と中神の2人でやっているだけで、他の現場作業員とアルバイトはあくまで「祭壇の飾り付け」などの通常の業務をしていただけなのです。そこで私と中神の「住吉会」の葬儀の役割をお伝えします。
私は祖父、母、親戚の誰もが葬儀屋という、いわゆる「葬儀屋一族」の中で育ちました。小、中学校までは何事もなかったのですが、転機は高校の入学初日、自己紹介で「実家は葬儀屋です」と言った瞬間、クラスメイトから「縁起が悪い」「他のクラスに行け」といった心ない言葉を浴びせられました。又、結婚を約束していた初恋の人がいましたが、彼女の母親から職業を理由に結婚を猛反対をされ、根深い「職業差別」を身をもって経験しました。しかしそうした不条理を経験したからこそ私はあえて葬儀屋の道を選びました。長男として生まれた宿命もありましたが、それ以上に「自分の意志でこの仕事を選び、独立する事でどんな差別を受けても聞き流せる強さが持てると思ったからです」。かっては「葬儀屋の息子」として理不尽な差別に納得がいかない日々もありなしたが、今は自分で好きで選んだ道だという自負があり、気持がとても楽になりました。意地でも他の仕事に就く気はありませんし、この道を歩んで行く決意で「日葬祭典株式会社」を創業したのです。
葬儀社を立ち上げたものの、最初の3年間は殆ど葬儀の依頼がありませんでした。そこで私は一般の葬儀屋が敬遠するヤクザの葬儀を引き受ける決意をしました。会社から最も近いヤクザの事務所があり、西口さんという方が組長をしている住吉連合会「向後一家」という事がわかりました。事務所も西口組長の自宅もJR中央線「高円寺」駅の近くだという事がわかり、私は西口組長の自宅に行って西口組長に直談判に伺ったのです。西口組長は非常に気さくな方で私の話しを真剣に聞いて下さり、「わかった、協力しょう」とその場で言ってくれました。それ以来西口組長には多くの団体を紹介してもらいました。私が「ヤクザの葬儀を一生涯続ける」と心に決めたのは、何処の団体の組員の皆なさんが「葬儀」という儀式を誰よりも大切にしている事がわかったからです。何処の団体の葬儀を手伝いに行っても、組員の人達は葬儀式場の事を「義理場」と呼ぶのです。組員の人達で葬儀の話が出ると「この間の義理は、雨で大変だったよ」といった会話をするのです。組員の人達にとって「葬儀」は重要な儀式なのです。
また組員の人達は葬儀という大切な儀式を執り行ないたくても、貸してくれる葬儀式場が殆ど無い厳しい現状をよく知っていて、葬儀社がいなければ儀式が成立しない事や、自分達の葬儀を引き受けてくれる葬儀社にとってどれ程大変な事かを理解していてくれて、何処の団体の葬儀の依頼を受けても組員の人達は「中村さん、中村さん、」と呼んでくれて非常に大切に扱ってくれるのです。これまでの私の人生で「葬儀屋」という職業が他の職業よりも一段下に見られる事多く、それだけに組員の人達の私に対する態度は私にとっては何とも言えない気持ちになりました。「自分達を大切にしてくれるヤクザの葬儀を一生涯続けて行こう」と決意したのは自然の流れだと思っています。ヤクザにとっては「義理」を欠く事は絶対に許されません。その大切な儀式を一生懸命に支え様とする私を、組員の人達が心から大事にしてくれました。そして、住吉連合会が組織を一本化して「住吉会」になり、「向後一家」の西口組長が「会長」に就任されました。その際「西口会長」が、当社を「住吉会」本部の指定葬儀社に任命してくれて、「住吉会」の葬儀部門のすべてを私が任される事になったのです。
それ以来、他の団体の葬儀はやらないで「住吉会」の葬儀しかやらなくしました。私は赤坂にある「住吉会」本部事務所に行って、事務局長、室長、事務長と今後の「住吉会」の葬儀について協議する日が続きました。組織が関東、東北、北海道へと拡大するので、増え続ける組員の人達や、各一家の総長や最高幹部の人達の顔と名前を覚える必要が出てきたので、中神にスナップ写真を写したら、一家名と役職名を記した名簿を作ってもらう事にしましたが、組織が大きくなるスピードがあまりにも速く中神はその対応に追われ大変な苦労をする事になりました。組織が大きくなると「葬儀式場」により同じ「住吉会葬」であっても毎回勝手が異なりますので、私と事務局長の役割を明確に決める事にしました。葬儀が始まる前に私と本部長、事務局長が火葬場の所長に必ず挨拶に行くことに決めました。そして式が始まる少し前に私は常に西口親分から見える位置に立っている事にしました。西口親分に用事が出来た時に、直ぐに私を手招きで私を呼べる様にしました。そして、事務局長は常に私が見える位置に立っているようにしました。もし私が西口親分に呼ばれたら直ぐに事務局長が私の所に駆けつけてくるのです。
例えば西口親分から私が呼ばれて「中村、少し早いが皆んなが揃っているようなら始めよう」と言ったら、私が事務局長に「式を始めましょう」と伝えると、あらかじめ役割分担が決まっているので、直ぐに僧侶が式場に入って来ます。そして式が始まるのです。葬儀が終わったら直ぐに私が西口親分の所に行って帰宅時間を確認して事務局長に報告します。そうしますと時間が来ると葬儀式場の前に車が駐車され、各一家の総長や最高幹部の人達が西口親分の見送りの為に整列しています。この体制を維持する為に私の側には組員の人が1人連絡係としてついています。式場が広いので連絡係の組員の人に外の様子や控室の様子を見てきてもらうためです。そうしないと全体の状況がわからないのでその様にしてもらっているのです。西口親分が控室から車に乗って火葬場を後にする時に、火葬場の出口付近に「警視庁捜査4課」と所轄の警察署の捜査4課の刑事さんが2~30人ほど集まります。そして西口親分が車から降りてきて、彼らに労いの言葉をかけるのです。必ず私と事務局長の2人が西口親分の側に立っているのです。最後に「もし何か不手際が有れば、葬儀屋の中村か、事務局長に伝えて欲しい。直接話が出来なければ電話でも構わない。必ず私に連絡がつくようになっているから」そう言ってから車に乗ってかえるのです。これが私の「住吉会」の時の葬儀の流れです。
中神は葬儀が始まる前からとにかくスナップ写真を写し始めます。最初に控室から写してあらゆる場面を写すのです。コダックの36枚取りのフイルムを10本用意してそのほとんどを使い切ってしまいます。「住吉会」の各一家の総長や最高幹部の人達は皆んな中神の名前も顔も知っています。時々控室で「中神さん、悪いけれども兄弟分と一緒の写真を撮ってくれないか?」と声がかかるのです。それも1人や2人だけではなくかなりの人達から頼まれるようで大変です。そして写真の送り先を聞いてメモに書いているのですから、葬儀が始まるまではその様なスナップ写真を写しています。そして葬儀の写真を写したら、今度は西口親分の所に皆んなが集まるのでその写真を写して、西口親分が帰るまで写真を写しています。とにかく神経が休む暇などありません。
それと埼玉県日高市にある「住吉会館」では、跡目襲名、新年会、幹部会などが行なわれます。ここは「埼玉県警」の管轄なので日頃から葬儀を通じてお世話になっている「警視庁捜査4課の刑事」さんへ、有益な情報をが提供出来る様に当社ですべてのお手伝いをする様に決めました。1度も依頼された事はありませんが私としては協力するのが当然の努めだと考えていました。この「住吉会館」で最初に跡目襲名が執り行なわれた時も中神がスナップ写真を写しました。出来上がった写真を見た時に1番驚いたのは、西口親分が福田理事長に「住吉会」の跡目襲名の時に、「住吉会館」の会長室で、西口親分と福田会長が密談をしている写真を見た時です。本来会長室には誰も入れないのですが中神は会長室に入って撮影をした写真があったのです。中神に「よく撮影ができたな」と聞いたら、西口親分が「中神、今日は福田が主役だから上手く写してくれよ」と言われ、福田会長から「中神君、よろしく頼むね」と言われましたと言ったので、凄いし成長していると思いました。
ただ皆んな成長しているのに1番気になっていたのは、「社名」変更後の会社で取締役副社長になったY社員の事でした。彼は単なる「極道好き」というよりも、私や中神と同じ様に、「住吉会」の各一家の総長や最高幹部の人達に自分の名前と顔を覚えてもらうために必死だったのです。本来、現場作業員であるY社員は祭壇の飾り付けが終われば葬儀終了まで、トラックの運転席で待機していればいいのです。しかし葬儀が始まる1時間前に、1000人~2000人の若い組員の人達が参列者を出迎える為に、式場の前に整列を始めるとY社員の行動が変わるのです。作業服から制服に着替えて胸に大きな名札を付けて、整列している組員達の前を通って挨拶をして回るのです。時には彼らから買い物を頼まれれば喜んで引き受けているのです。まさに個人的に「住吉会」の組員の人とつながりをもち、「俺のバックには住吉会がついているんだぞ」と誇示したがる典型的な人間なのです。暴対法が強化された後もY社員は平然と幹部会に手伝い行ったり、会社に内緒で個人的にヤクザと交流を続けていました。
平成28年にはヤクザの組員から「大麻の売人」を会社で働かせて欲しいと頼まれ、当社のセレモニーレディとして働かせていたのです。Y社員にとってはヤクザの組員を知っているという事は一種のステータスだったのでしょう。何しろ自分から彼らに歩み寄る姿には注意しても改善の余地が無いので、黙って見守るしかない状況でした。当初私を裏切った4人の部下への「報復」は当然の権利だと考え、ブログに会社と「住吉会」の関係を書きましたが、元社員から「誤解を招く恐れがある為、早急に新しい投稿をして下さい」と連絡があったので、今回はまず「住吉会」の葬儀の際に、私と中神が実際に行なっていた業務について書きました。そして、次回のブログに当社のこれまでの歩みと経緯について投稿させていただきます。
「追伸」
私と西口親分との関係は、8割が葬儀に関する報告で、2割が雑談でした。会うのは主に「本家」です。どうしても緊急の指示を仰がねばならない時は、本部事務所に連絡をして、西口親分の予定を確認して先回りして待ちます。ボディーガードの人達に囲まれて歩いている所に行って「葬儀社の中村です」と告げると、道を開けて西口親分と話が出来る様にしてくれます。大抵は立ち話で済みますが、「中村、後で事務所に来い」と言われた時は、赤坂の本部事務所の1階にある西口親分専用の事務所に行って、用件を話しをするという関係でした。私や会社にとって西口親分は大恩人であり、出会った幸運に心から感謝しています。西口親分は真の「侠客」でした。