32歳で巨大卵巣癌と宣告され、自ら医師でありながら心身共に擦り減る生き方をしてきたことを反省した私。
これからの人生をしあわせあつめの旅とし、それを人と分かち合うために綴ります。
世界の生き物達を訪ね、いのちと幸せについて学び直しています。
今回は重めの内容です。
あとで消すかもしれません。
かつて親しかった人に言われた言葉が、今も頭にこだましています。
「仕事は生きるためにするものであって、命を削ってするものではないんだよ。」
当時の私は、激務や色々なことで心身の限界を迎える寸前の時期でした。
今思えば、その頃からお腹が少しずつ膨らみ始めていました。太ったのだと思っていましたが、癌が発生していたのです。
その人の言葉は、かなり的を得ていた、と今になってわかります。
その後すぐ、その人は私から離れて行きました。
心身はもう言うことを聞かず、大切な人も離れ、周りからは辛辣な言葉を受けました。
未来は全く見えず、目の前は真っ暗。
なんて情けないんだと自分を責めて、消えたいと思いました。
そして、お腹の中ほぼ全部、癌に占拠されていることがわかりました。
私は小さい頃から、こう教わってきました。
「苦しんで努力した人にだけ、幸せが訪れる。」
「それも必ずではない、運が良ければ幸せになれる、くらいのもの。人生とは90%が苦しみだ。」
「苦しまない者は、人間らしい生活などできないと思え。」
それをずっと信じて、
苦しむことは良いことだ。
苦しんでいないことは、悪いことだ。
そう思って生きていました。
キラキラしている人、好きなことをして生きているいる人を見ると、きっとあの人にはいつかバチがあたるんだ。
そう信じて疑いませんでした。
でも、苦しんでも苦しんでも、その先にあるのはやっぱり苦しみでした。
それも、どんどん大きな苦しみがやってきました。
命の終わりを、意識するまでの事態になりました。
初めはそれを、まだ私の苦しみが足りないんだ、努力が足りないんだと思って這うように進んでいましたが。
もう、強制終了でした。
でも、まだ命は失ってない。
いい加減、考え方を変えなさい!
という、天からのお達しだったのかな、と今では思います。
今でも、好きなことをしていると、頭の中にどこからか声が聞こえます。
「また、そんなことをして!ろくな人間にならないよ!」
「本当にお前は甘い!」
目の前に幸せが訪れても、頭ではわかっているのに、体が拒絶反応を示してしまいます。
苦しむことに、幸せを否定することに、体が慣れすぎてしまったのでしょうか。
ただただ苦しむことが正しいことだと思っているなら
そこに、自分主体の明確な根拠、目的があるのか。
ただなんとなくそう教わってきたから…
苦しんでいないと周りに批判されるから…
そんな人は、考え方を変えた方が良い。
誰かのせいにして恨むのも違います。いくら恨んだところで、結局何も変わりません。
まずは自分が変わらなければ。
自分は自分にしか守れないから。
命を削ってしまう前に。