抗がん剤治療が終わってから、もうすぐ2カ月が経とうとしています。
頭は黒々とし始め、眉もほとんど元に戻っています。最近まつ毛も生え始めました目音譜



抗がん剤治療の半年間、副作用に苦しみながらも自分が癌になってしまった理由を考えていました。




私は、5才くらいの頃からでしょうか。親や先生や周囲の期待に応えなければ、自分に存在価値はないと思って生きてきました。


「必死に勉強しなさい、良い成績を取りなさい、良い学校に行きなさい…
そうでなければ、出来の悪いお前は人並みの生活なんて出来ないと思え」


実際私は出来が悪くて怠け者の人間だと自分でも思います。だから、将来を案じてそうやって発破をかけてくれていたのだと思います。


言う通りの結果を出せば、親や周囲は、調子に乗るな、気を抜くなと言いつつも嬉しそうにしてくれました。
でも、結果が出せなければ激しく叱られました。



子供心に、周りを喜ばす結果を出さなければ。そうでなければ、私には存在価値などないんだと思うようになりました。



それでもしばしば、自分の中に湧き上がるなんとも言えない思いがあったのを覚えています。
だけど、自分は出来が悪い。周りの言うことこそが正しいのだと、自分の気持ちに固く蓋をして考えないようにしていました。





やがて私は、周囲の気持ちや望みと、自分の気持ちや望みの区別すらつかなくなっていきました。
というよりは、自分の気持ちを潰しすぎて、空っぽになったところに周囲の気持ちが入ってきてしまい、それが自分の気持ちなのだと勘違いしていたのかもしれません。



今思えば、この考え方が私に染み付いた自己否定の根本なのではと思います。
ですが、愚かな私はそれに気づかないまま(もしかしたら無意識に気づかないフリをしたまま)、大人になってしまいました。




大人になった私は、周囲の勧めに後押しされて、大きな組織で働き始めました。


しばしば徹夜で働き詰めるような激務でしたが、自分の存在価値のために頑張りました。


上司の期待に応えなければ!
良い後輩、先輩でいなければ!
親が喜ぶようにたくましい私でいなければ!



毎朝の日課は、まず目覚めてから感情を無にすることでした。


今日も淡々と仕事をこなそう。
ロボットのように。


そうしなければ、起き上がることができなかったのです。




そんな日々を過ごして約4年経ったある日、思いもよらない異変が私に襲いかかってきたのです。



次回に続く…