解離性障害の治療には心理療法のほかに環境調整が必要と書物にあった。

「安心できる、安全な場所」の確保
独り暮らしの我が家だけど、それは維持できるように頑張ってる。

時々離人して、人格が分かれているのはわかってる。
数年前から自覚できるようになったので心のなかで自分たち同士で会議している。

落ち着く場所のキーワードは「札幌」

18歳のとき、
離人したせいで短大に行けなくな
り、実家に帰りその後短大は退学した。

身体的にも精神的にも立ち直るまで1年ぐらいかかり、その後就職のため、予備校に通って合格して就職して今に至る。
学生の頃から憧れてた職業で就職したからメデタシ、メデタシ…ではなかった。

勉強したかった、学びたかった事への悔しい気持ちを置き去りにしてしまったのだ。

就職してから何年か経って通信制の大学に入った。とても楽しかった。
でも鬱を発症して結局続かなかった。それでも自分が働いた給料で大学の学費を払う、という経験ができたのは非常に大きかった。
続けたかったが仕事との両立と鬱病の治療が優先のためやむを得ず退学した。
ちゃんと環境が整っていれば大学にもついていけてたんだ、ということがわかったので、自分でも納得して幕を引いた。

その後、鬱も数年の治療で落ち着き、仕事一本に絞り、空いた時間に習い事もはじめ楽しい日々を過ごしていた。

そう、このときも短大の退学への悔しかった気持ちは置き去りのまま。っていうか忘れてた。

だが、ある時から毎年春になると「札幌になんでいかないの?学校があるのに…短大にいかなきゃ」と自分のなかで過去の事なのに葛藤を起こすようになっていた。
強い気持ちがいつの間にか人格的になって主導権を握りかねない勢いになってた。
葛藤はひどくなり、記憶がなくなることも多くなり、人格化した気持ちはどんどん増えていき、仕事にも支障をきたしはじめて普通の生活もままならなくなったため、静養要すると精神科で判断され1年休職した。

復職後3年目。
静養のかいがあり、体調も精神の波もかなり快復した。
この年から毎年夏に休暇を利用して札幌に短期滞在するようになった。

あの悔しかった気持ちから逃げていても何も解決にならない、と気がついたから。

短大の場所、住んでたアパートへは街並みは変わっていないので、スラスラ行くことが出来る。
当時はわからなかったけど、もっともっと力を抜いて取り組めば出来ていたことも沢山ある、と気付きを得た。
そして住んでた場所の近くに行くと自分がかつてなく安心しているのを感じる。

解離の解決に必要な「安心」はこういうものなのか?とすら思える。

地元に戻って積み上げてきた20年の色んな経験が「大丈夫」という自信に繋がっているんだと思う。

18歳の人格とはまだ統合しきれていない。でも以前と違って騒いだり、泣きわめいたりせず、自分が記憶している18歳の時と同じように寡黙で歴史の書物を熱心に読んでいる。「本読んでるから後で」という雰囲気すら感じる。
18歳の辛かった記憶ではなく、実際の様子がどんどん思い浮かぶようになった。
いい傾向だ。

今年も夏に札幌に行くための宿を予約した。
今年からは体調を見ながら頻度を増やして目標隔月というペースで行こうと思う。

楽しみもあるが、ある意味遅いスタートの自分探しの旅をしているのかもしれない。