主人がいなくなって、
その日から、主人の帰りを待つ苦しい日々が始まりました。
毎日遅い時間だけれど、わりと定まった時間に帰って来てた主人、その時間が来ることが居ても立っても居られないくらいに辛かったです。
決して帰っては来てくれないのに、窓から主人の曲がって来る車を待ち、
そして車庫を開ける音がするのも待っていた気がします。
それから、
一歩外へ出ると主人を探す日々も長いこと続きました。
共に行った場所はもちろん、
一度でも行った箇所でさえ、当時の主人を不思議と強く思い出してました。
人って、もう逢えないんだと思うと、かつての記憶、恋しいその姿を必死にも思い出す、探そうとするものなのかな…。
頭ではもう居ないんだと、
この世で私の視界に映ることはないとわかっているつもりでも、
本気で心は探してました。
居ないことがあまりに信じられなくて、
ひょっとしたら居ないと考えている部分の方が間違いなんじゃないかと、そこを信じる、信じたいくらいの私だったんだと思います。
何度か書いたかな。
私はあまりスーパーの買い物は主人とは行かなかったから、一番苦しくも探してしまったのは「ホームセンター」でした。
居ないはずの主人だけど、
どこからか不意に(前みたいに)ひょこっと現れるんじゃないか…そう思いながらも私はそこで、その場でしばらく固まっていました。辛かった、本当に。
本当にそんな期間も長く続いてたものなのに、それが今はもう、いつしか探さなくなった気がします。
今は…
そういう場所で、あの頃確かにあった主人の面影を探す…
いや、思い出す。
切なく胸に思いながら、表面には出さずに行動できる自分になりました。
これは「諦め」なのか、
そして今のこの環境というものにやはり慣れて来たから…なのかな。
探すこと、待つこと、すごく辛かったはずなのに、何だか今それをしない事、しない自分もちょっと悲しく思えたりします…
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