主人が突然亡くなって、信じられないことに5年と8ヶ月。この6月は七回忌です。
何度か書いて来ましたが、今の私は到底あの頃には想像も付かない自分です。
もう無理。
終わった。生きていけるはずない…
心から笑うことがこの先一生無いんだと、本当にもうそれしか思わなかった。
そしてそれは、その裏には前までの(主人の居た)幸せというものを失ってしまったことへの許せないような、納得のいかない気持ち、どうしてもそこを取り戻すことが出来なければ私のこの先の「幸せ」なんてものは無いんだと、そう思う気持ちでした。
その幸せがまた戻ってくる、再現出来るはずなんてなくて…
だってそれは、もう主人が居ないのだからどうやっても無理なものは無理でしか無かったとは思う。
でもそこに納得なんていかないから、いつまでも未練がましく?悲しくて悔しくて、どうしたら良いかわからない自分でいました。
でも今私は、主人が居なくても私は私なのだと言うことにどこか少し気付いたところがあるのかも知れません。
主人が消えてしまったことはあまりに悲しくて、まだちゃんと受け入れているものなのかも微妙だけど、
でも私は私の人生はまだ続いているんだと思うのと、主人が居なくても「私」はいるんだと、私らしさ?本来の私?そんな自分って元々いたはずなんだと思い出した感じです。
私にはもう養育するような子どもはいないし、ここまでの時間を自分と対峙する中で、そんな本来の自分を取り戻すような?忘れかけてたところに気が付いたのかな…
それにはここでの繋がりが最大の救いとなりました。
それは本当にこの上ないグリーフであり、私の救いだったと思う。
そして次に「自分」です。
ずっと苦しくて苦しくて悲しみの中を耐えて生きて来て、
でもそこには、要所要所で行動すべきタイミングがあり、そこへの自分自身の努力もあったと思います。
そしてここへ来ての仕上げに「ミディアムシップ」というものがあったのだと考えてます。(興味のある方は、ブログ内の「ミディアムシップ」のカテゴリをご覧下さい)
前と同じ…では無いけれど、
本来の私に見合った、私に一番無理なく、過ごしやすい日常の「幸せ」というものを追い求めて生きたいし、今そこを感じられる自分になって来たことを実感しています。
今思えば、1年2年3年…とあれだけ辛くて辛くて、居ても立っても居られないような想いの日々、それはもう仕方なかったんだと、
どう足掻いても拭うことなんて出来るはずも無かったなぁって思います。
当たり前だよね…
当たり前の当たり前。
それだけ、それほど大切で代わりなんか居ない唯一無二の存在だったんだからね。
絶対に無いと、
絶対にそんなの無理だと思っていても時が経つと変わることもある…
それは時が経たなければわからないことなんだよね。
だから今苦しい方も、今を(何とか)乗り切ること…
1日1日を何とか生きて行った先に、「何か」が見えて来るのかもしれないのでは無いかな…って思ってます。
限定記事には書いたのですが、入院していたマゴ、退院致しました。
なので昨日、車で二時間ほどの次女宅へ誕生日のお祝いを持って行きました。
高速道路は50キロ規制。
おまけに途中からいきなり車が止まってほぼ進まない…(その先で事故でした)
悪天候になって来て先は見えない💦💦
いつになったら着くのかという途方に暮れる思いでずっと車に居ましたが、警察車両が何台も通り過ぎていき、少ししたらやっと動けました。
そんな中でもあの、高速道路の爽快感
本当に、長ーくペーパードライバーであった自分とは思えないくらい、やっぱり運転は好きであり、(あの頃には到底考えられなかったけれど‼️)高速を走ることも好き✨です
これぞ私のストレス解消かと思うほどでした。
着いたら孫3号(通称マツ)が出迎えてくれました。写真あとで消すかもです💦
そして退院後間もなかったですが、4歳の記念写真を撮るとの事で行って来ました。
予定通り任務を終わらせて再び二時間かけて帰るはずが、
まさかの帰り、高速道路が吹雪のため通行止め。
まさかまさかの下道と一部高速でいつもの2倍以上時間をかけて帰って来ましたとさ💦💦
昨日1日で私、7時間以上も運転しましたーさすがにマイッタヨ