昨日遺影のことをブログにあげた事で改めて思いましたが、
主人の写真が無いんです…
主人が亡くなった時、突然過ぎて当然慌てたけど、本当に我が家にはここ近年のものという写真が無くて困りました。
結局、主人は職場でのイベントのようなものも時々あったから、そちらから頂いていた物があり、そこから思いっきり引き伸ばして使いました。
これ、本当に普通なら悲しくて考えられないかと思うんですけど、
そんな感じで作ったから少しぼやけた感じなんです😞
子どもが大きくなればそんなもの…
なのもわかるけど、それにしては撮ってあげなかったよなぁって、子どもは大きくても普通に撮ってたのに、例えそこに主人が居ても…
撮ってあげなかったんですよね😞😞
こんな事からもひどい奥さんだったなって悲しく今思います。
そもそも、これから成長して行く子どもでもないのにそこに必要性を感じなかったというか何というか…
人としておかしかったんですね、私がやっぱりへそ曲がりな女だったからなのだとつくづく思う。
主人はとても忙し過ぎる人だったから、旅行とか、出掛けるとかもそんな無かったし、
何より私たち夫婦、買い物や父のお見舞い以外に夫婦二人だけで出掛けたことが全くない?!
旅行どころか、結婚式に呼ばれるとか、夫婦二人単位は無かったなぁ…改めて考えるとびっくり…
本当はね、ここからが写真が増えるはず、そんな予定だったんだよ。
ぼんやりと描いてた「老後」と言える定年後の生活のこと、キャンピングカーで全道一周旅行とか、こんな私だけれどもいつかはそれを叶える、いつかそんな時も来るって思ってたから…
まだまだ、もう少しだけでも生きられたなら、我が子の結婚の姿だって見れたし、当然孫だって見れてたよね。
そしたらどんなに写真も増えていたんだろう…
昨日書いた遺影を鴨居には置きたくないという事、
そんな事もね、主人が普通におじいちゃんと呼べる歳、呼べる姿で亡くなったなら…
私だって違和感なくもそこに置いてたかも知れない。
結局ね、いちいち拘るそんな一つ一つってまだまだ早過ぎたから…、主人が若すぎたと、そこにとても苦しい気持ちがいってしまうからなんだよね。
もし主人が立派に「おじいちゃん」だったなら、遺影のフレームが黒くてもここまでは思わなかったとおもいます。
一概に年齢なんかじゃないって事も分かってるつもりだけど、
でも…
今の私はやっぱり、早ければ早いほど残酷だと、ついそこを思ってしまいます。