「ナン」を手にしてます。
私、この場面見た瞬間に突然思い出したの、
うちの主人もこんな、いつも親父ギャグみたいな事を常に言ってる、そんな人だったんだって。
そこを、なんとなく忘れかけてました。
主人が突然にも逝っちゃった事があまりにも無念だと思って哀しくて、
可哀想だと私が思い過ぎてたことで悲しんでいるような主人?そんな姿しか、ずっと浮かんでいなかったような気もします。
かつてあった主人の本当の姿、「本来の主人」というものを見失ってました。
出逢った時、そんなふうに見るからに優しくてニコやかで朗らかで、ユーモアたっぷりの人だったから、私は大好きで、それが良くて一緒になったんだ。
なのにね、もう子どもが大きくなるにつれてそんなギャグは完全スルー、鼻で笑っちゃうどころか全く取り合ってもやらない、本当に酷い私でした。
いや、こんな事はどこの家でもそんなものだよって思われるかも知れないけど…
でも私の場合はなかなか、本当に冷たく、どう考えてももっと笑って話したい主人の口数を減らすぐらいにいろんなこと、いろんな話を聞いちゃいなかった😞
主人はイヤなことや苦しいことがあってもそれを決して見せる人じゃ無かった。
すごくすごく仕事が、職場は大変だった。
なのに微塵も家ではそこを出すことなく、いつも穏やかな人でした。
そんな良き人だったのに、私にはそれが当たり前の当たり前になっちゃって、何も聞こう、聞いてあげようとすらしなかったです…
本当の主人を、こんな大切な部分を忘れかけてた自分が悲しい。
そして今、三年半が過ぎて思い出そうと思ってもスッと全てを思い出せないような、「今の自分」というものもとても悲しい。
どうしても、時間と共に記憶が薄らいでくる部分、少し曖昧となりピンと思い出さない自分なのかと非常に悲しいです。
何度も何度も書いてるけど、
胸の痛みが和らぐとは反対のそんな部分、それが今の私には何より悲しい…
そして芋づる式に、
いろんな事が申し訳なかったと悲しくなり始める…
何でもかんでも主人は家族が1番、家族の思いが優先で、自分はガマンだけ…そうだったと私の中では思ってしまう…
今日は車のチラシがいっぱい入ってそれを目にしたら、もっともっと良い車に乗せてあげたかったなって、悲し過ぎてイヤになって来た
いや…
私が優しくしてあげるだけで、それで良かったんだよね。
「ごめんね」を、一回だけでも直接言わせてくれたらいいのに、
それが叶わないから、何度言っても全然足りない。