寂しくても、どんなに逢いたくて、逢えなくて悲しくても私がこうしてそれなりに今の日常を生きているか、
生きれるようになったのかって…
「慣れ」とか「諦め」とか、やっぱりそこを完全否定は出来ないものとも思うけど、
三年経っても私は主人の死は認められないし、諦められもしない。
やっぱり納得のいかないままなんだよ。
だからやっぱり、慣れでも諦めでもなくて、言葉にするなら前にブロ友さんから言われたように、
強くなった(なってしまった)からだと思う。
私さ、
全く強くなんかならなくて良かったし、
ずっとワガママに主人におんぶに抱っこで頼りきって生きたかったよ
それを思うと、今はそうではない現状に涙が出る。
だけどほんとに、
自分の気持ちに関係なくも強くなって来たのだと思うわ。
やだやだ…
そんな事、微塵も求めてないのに。
強くなるって何よ。
なんか良いことあるの???