最近、自分で気づいた事があります。


娘に線香をあげたり、
お鈴を鳴らしたり
お花の水を変えたり、
飲み物やお菓子を供えたりは
出来るのですが、

手を合わせてあげる事が出来ません。



前にもブログで書きましたが
死産後49日までも
そういう事が出来ず、
向かい合う事が出来ず、
放心状態で言い方は悪いですが
放ったらかしでした。
親に任せっきりでした…


49日の法要後からは毎日娘の前で手を合わせてあげていたのですが、
いつの日かまた出来なくなりました。



もちろん手を合わせるだけが供養ではないし心の中に娘に対する想いは変わる事なくいつもあります。


あの頃より娘の死を
受け止めようとしているけれど
やっぱりどこかで認めたくない

僅かな抵抗なのかな…



今度8月31日に
少し早いですが娘の一周忌を
する事になりました。




どんな気持ちで迎えるのかな?


もう1年も経とうとしてるなんて
信じられないけど、
今までの想いを
ちゃんと手を合わせて供養してあげたいな。




数日前に仕事場で

「クリスタルさんて、休みの日何してるの~?」って言われました。


私が娘を亡くした事は誰も知らないし
何でもない普通の質問です。



でも娘を亡くしてその子を想い泣いてしまう日もあるとか、ボーッとしているとか、
娘のためにお菓子を選んだりお花を買ったりしているとか…


そんな事言えないので



「掃除したり、テレビ見たりゲームしたり
グータラ生活してます~^^;」って適当な言い方で誤魔化しました。


自分の事を正直に話す事は
限られた人以外ないんだなと思います。


最近は友達と遊ぶ事も少なくなりました。


パートが休みの日は特に色んな事を考えて落ち込みます…



仕事をしている方が切り替えが出来るのか精神的に楽な時もあります。



少し前になりますが

娘の数少ない写真で作ったアルバムやエコー写真、妊娠中に書いていた日記など
いつでも目の届く所に置いていましたが
クローゼットの奥にしまいました…


それは娘を忘れるためではありません。


忘れる必要もないし忘れる事なんて出来るはずないけれど、それを見る度にまた悲しい気持ちになるのです。



アルバムを開いては
「何でこの子が…」と毎日泣いていました。


今見るとまた泣いてしまいそうで
その気持ちを自分で封印しています…



娘はどんな風に今の私を見ているのかな…
本当申し訳ないです。


亡くなってしまった我が子と向き合うのは
とても長い長い道のりですね。