《娘さん》は、幾つか「習い事」に行っています。その中の一つに、塾があります。

 塾では「宿題」が出ることがあるようです。きちんと「宿題」をしている時もあれば、100%取り組めていない時もあるようです。

 

 私は、《娘さん》が「宿題」に取り組んでいないのを見ると、心がざわざわします。「怒り」が湧くこともあります(ちなみに、塾以外の「習い事」については、《娘さん》が「宿題」(又はそれに類するもの)を行っていなかったとしても、「怒り」が湧くことはありません。)

 

 ではなぜ、こうした感情を私が抱くのでしょうか。

 最初にパッと頭に浮かんだのは、「塾の費用が(他の習い事に比べて相対的に)高額だから」という理由でした。しかしこの理由は、変です。塾がものすごく割引価格になっても、引き続き「怒り」が湧くことはあるでしょうし、また、塾以外の「習い事」が大幅値上げされたとしても、私は「怒り」を覚えることはないでしょうからです。

 

 もう少し突き詰めて考えたときに、その理由が分かった気がしました。それは、「私自身が塾に通っていなかった(通えなかった)から」というものです。

 

 私は、小さい頃、親が勉強を教えていました。そして、今でいう教育虐待を受けながら、成績を向上させました。(経済的に厳しかったためか、あるいは親が私に直接教えたかったためか)私には塾に通うという選択肢はありませんでした。

 

「私自身は、塾に通わず(通えず)、教育虐待を受けながら必死に勉強していたのに、《娘さん》は、塾に通えている。それなのに、「宿題」もしないなんて、ズルい」という感覚が、私の中にあるように思います。

 

 おそらくこれは、「大人としての私」ではなく、「小さい頃の私(で大人に成長しきれなかった部分)」が、同じ位の年頃の《娘さん》に嫉妬しているということなのだと思います。

 

 そうであるならば、自分が取るべき行動も明らかです。

 自分が行うべきは、《娘さん》に「怒り」を向けることではなく、過去の自分自身(塾に通っていなかった/教育虐待を受けていた)と向き合うことです。

 これから、向き合いたいと思います。