Ⅰ
前回のブログでは、「子離れ」の必要性について書きました。
ただし、「言うは易し、行うは難し」です。頭では「子離れ」の必要性が分かっていても、なかなか「子離れ」の行動をとり続けることは難しいと感じています。
なぜなのだろうか、ということを考えたときに、一つの価値観に気が付きました。
それは、(私が行った《妻さん》に対するDVをもたらした価値観の一つである)「ニコイチ」という価値観です。
Ⅱ
私は、DVをしていたとき、「《妻さん》と私は一緒であるべきだし、違った価値観を持つのはあり得ない(許せない)」という考え方を持っていました。言い換えると、二人は一つ、「ニコイチ」なのだと思い込んでいましたし、そうあるべきだ(そうでないのは許せない)と考えていました。
そうだったので、《妻さん》が私とは別の考えを示したりすると、途端に不機嫌になったり、自分の考えを押し付けて、それを《妻さん》の考えとして持たせようとしました。そうした「ニコイチ」の価値観が、行為としてのDVにつながっていたのだと感じています。
今は、《妻さん》は、私とは別人格なのだと理解できるようになってきています。そして(私とは異なる)《妻さん》の価値観を尊重できるようになってきています。
一方で、《娘さん》との間ではどうか?ということを考えてみたときに、「ニコイチ」的な価値観が、私の中に残っているのではないか、と反省することがあります。
Ⅲ
ではなぜ、(《妻さん》との間では「ニコイチ」という価値観が手放せたのに、)《娘さん》との間で「ニコイチ」という価値観を手放すことに苦労しているのか。
私の今のところの答えは、「似ているから」です。
《娘さん》は、(私と違い部分も多々ありますが)私と似ている部分もあります。気質も似ていますし、思考のパターンやプロセスも、似ていると感じるときがあります。(《妻さん》と私との間より、《娘さん》と私との間の方が、似ていると感じることが多いです。)
だからこそ、気を付けないと「《娘さん》と私は同じようなことを考えているはずだ」⇒「それなのに、私の考えとは違った行動をとっている」⇒「《娘さん》は間違っている」というように、自分と相手(《娘さん》)を同一視して(「ニコイチ」)、私の価値観を押し付けてしまう(ひいてはそれが虐待に繋がってしまう)ことになりかねない、と感じています。
Ⅳ
「ニコイチ」という価値観は、私の中に深く残っています。だからこそ、この価値観を手放していきたいと考えています。
そのためにも、自他の境界をしっかり保ち続けることが重要です。
「似ている」から「同じだろう」ではなく、「似ている」と感じるからこそ、相手と自分は別の人格であるという事実を大切にしたいです。