電車に乗っているときに、近くから、誰かの舌打ちが聞こえました。思わず、音が聞こえたほうを振り返ると、一人の中年男性が、手にしたタブレット端末に目を凝らしていました。

 どうしたんだろう、と訝しんでいると、数秒後に2回目の舌打ちが、更に十数秒後には3回目の舌打ちが、発せられました。ちなみに、その男性の視線は、引き続きタブレット端末に注がれたままです。

 私は、心臓がドキドキし、不安な気持ち、怖い気持ちになりました。早く距離を取りたい、と思いました。

 

 それと同時に、「ああ、昔の自分は、よく舌打ちをしていたなあ」ということを思い出しました。

 《妻さん》と出会ってからも、私は、舌打ちを多くの頻度で行っていました。不機嫌な時、相手にイライラしている時、自分が焦っている時などは特に、沢山舌打ちしていました。もちろん、「私は○○という理由で舌打ちしています」などと、説明することはありませんでした。

 

 他人の(中年男性)の舌打ちを聴いて、私が不安な気持ち、怖い気持ちになった最大の理由は、「舌打ちの理由が分からない」ということにある、と気づきました。もちろん、「舌打ち」を耳にすること自体が不快である、という点もあります。しかしそれ以上に、何で「舌打ち」をしているのかが周囲の人(私)に分からない、というのが、私の不安や恐怖の源泉でした。

 

 これを自分のDVに引き付けて考えてみたとき、きっと《妻さん》も似たように感じていただろう、と想像することができました。

 私が舌打ちをした時、《妻さん》は、私が不機嫌なのか、《妻さん》の言動に対してイライラしているのか、焦っているのか、分からず、混乱していたでしょう。舌打ちを耳にするだけで不快なのに、加えて、DVをする相手(私)が、どんなことを考えているのか、どのようなDVを(さらに)振るわれるのかと、怯え、不安や恐怖を掻き立てられていたのだと思います。

 私は舌打ちの理由は説明しませんでした。今振り返ると、「舌打ちの理由は相手(《妻さん》)が自ら察しろ。そしてオレが舌打ちしなくてもいいような振る舞いを、「自発的に」取るべきだ」という発想も、自分の中にありました。

 

 舌打ちは、DVになり得ます。物理的な暴力でなくても、舌打ちを通じて、相手を、相手と共に在る空間を、パワーによりコントロールすることとなり得るからです。今回の件で、舌打ちとDVのつながりに、改めて気が付くことができました。「舌打ち」を、自分の選択肢から手放していこうと改めて決意した一日となりました。