アンという名の少女シーズン1 第6話感想。 | えりの言の葉~この世に真実はない、あるのは解釈だけだ!~

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誰かが見ていると思うと続けられるかな?と思い、日記がわりに書いています。

半年くらい放置してましたがアンという名の少女の感想シリーズ、続いてますよ!


第6話のあらすじです。


初めての生理が来て戸惑うアン。

クラスの女の子たちの間でも生理は外せない話題。

ギルバートは父親の具合が良くなく、家計も危機的状況が近づいていた。

休日の土曜日、生理で気分が優れないアンだが、マリラの「私は出かけるから、ダイアナを呼んでお茶をするならご自由に」の一言でパッと目が覚め、ウキウキで準備を始める。

「お茶会にはふくらんだ袖がなくちゃ!」とごねるアンと、「必要ありません」というマリラのいつものやり取りを聞きながら、マシューはこっそりとアンの部屋に向かった後、一人カーモディに出かける。

華やかな婦人服店に尻込みしながらも意を決して飛び込むと、偶然にもそこはかつてのクラスメイトだったジェニーの店だった。

アンの話をしながら、二人は古い思い出を語る。

その頃アンはダイアナを招き、大人の気分でお茶会を開く。

木苺のジュースで乾杯した二人だったが、いつの間にか笑いが止まらなくなり、大声で歌ったり寸劇をしたりとやりたい放題。

そこへダイアナの母親が現れ、二人は我に返る。

レイチェル宅から帰宅したマリラは、アン、ダイアナ、そしてダイアナの母親の様子から、二人が間違えてワインを飲んでしまったことを知る。

ダイアナの母親により絶交させられてしまった二人は、唯一顔を合わせられる場となった学校で生涯の親友の約束を交わす。

落ち込むアンに、マシューは心からの贈り物を見せ、アンは泣いて喜ぶ。

アンは初めてのふくらんだ袖のドレスを身に付け、マシュー、マリラと教会に礼拝に向かうのだった。



うーんいまいちしっくり来ないまとめ方になってしまったな。


でも今回のお話は実はシリーズ中で一番のお気に入りです。


今回のテーマは、生理、木苺のジュース(と見せかけた赤スグリのワイン)、ふくらんだ袖のドレス、ですかね。


ゲストキャラはマシューの古いクラスメイトのジェニー。



また一つずつ振り返ってみます。


冒頭のシーンは、学校の授業でスペリングゲームをしている場面。


アンとギルバートが最後まで残りますが、アンはお腹が痛くて(後に生理痛とわかる)なかなか集中できず、それを察したギルバートはさりげなくスペルを間違えてアンを勝たせます。


でも優勝したアンは体調が悪くてしどろもどろ。



いや、ギルバートはいつもいつも察しがよすぎませんか!?


いくらアンのことをよく見ているからといってそこまで気を遣えるのってちょっとすごいというかうんなんかすごい。



翌朝未明、初めての生理に動転したアンはそれが生理とわからず、不治の病だと勘違いしてマリラを呆れさせます。


衣類についた血を泣きながら必死に洗い落とそうとするアンに、「洗濯はまず冷たい水で。その後お湯で洗いなさい」「木綿の布を下着に留めつけるの」と生理の対処方法を教えます。



洗濯はまあ今と一緒なんですけど(もちろん洗濯機とかないけどね)、木綿の布はどうやって下着に留めつけるんだろう?


簡単に縫うのかなあ?


いずれにしろ、色々と不便だったんでしょうね。


アンはよく学校に行ったな。


マリラには今日は学校はお休みしなさいとすすめられましたが、「また勉強が遅れちゃうでしょ! せっかく追いついたのにギルバ…みんなに!」と拒否して学校に行ったのですね。


このあたりから少しずつ、アンの中でのギルバートの存在感が出てきます。


まだまだ恋愛に発展するのはずっと先なのですが、それでもアンにとっては既に無視できない存在にはなっているんですね。



ランチ女子会のメンバーはアン、ダイアナ、ルビー、ジョーシー、ティリーの5人。


ダイアナとぽっちゃりティリーは去年、いじわるジョーシーは3か月前に初潮を迎えたとのこと。


他の子たちが「大人になった気分」と高揚する中、ルビーは「私はまだ大人じゃない! まだ来ないの!」と半ベソ。



確かに生理って、女子が踏むステップの中では唯一まったく自分の意思ではどうにもならないことなんですよね。


恋愛や結婚や妊娠は、完全には思い通りにならないとしても、ある程度は自分の意思を反映させられますけど、初潮だけは早く来いと思ってもまだ来るなと思ってもどうにもならないわけで。


私自身はどちらかというと、まだかな?とか思うよりずっと早く初潮を経験した方だったので、焦るルビーの気持ちは完全には理解できていないところもあるかも知れません。


個人的にはルビーは他の子より年下なのかなと思ってたんですが、そうではないのかな。



生理に関連して、「(生理が来て以来)お父さんがエスコートしてくれる」「髪を結い上げるのが楽しみ」という会話がありました。


この時代背景の中での成人式がどのようなものかは不明ですが、少なくとも社会的に大人の女性として見なされることと生理とは密接な関係があるようです。


生理が来る=エスコートされたり髪を結い上げたりする、という安直なことではないでしょうが、まあつまり年頃の娘になったら男性にエスコートされるようになる、といった感じなのかな。


髪を結い上げるのは学校を卒業してからなのかな?


このエスコートというのは日本にない文化なので、感覚的に理解するのが難しいのですが、夫婦やカップルではなくても、男性は連れの女性をエスコートし、女性側も親でも兄弟でも相手が大人の男性ならエスコートしてもらうのが当たり前のようです。


エスコートっつっても腕を組むだけみたいですけど。



生理についてアンが「男子にもこんな面倒が起こる?」と質問し、ダイアナかな?が「悩みはあるはずよ」と答えていたのが微笑ましくてよかったですね。


うんうん、男子たちもきっと君たちを見て色々と悩んでいるぞ!



生理中イライラしたり気分が落ち込んだりするアンの様子も描写されていました。


いやほんと、ここまでちゃんと生理についてふれたドラマって私は初めて見ましたね。


そしてそれが決して不自然ではなく、ストーリーに自然になじんでいるのがすごい。



憂鬱なアンにマリラが気を遣ってか、「大人のお茶会」の許しを出します。


「ああマリラ、やっと想像が働くようになったのね!」

「大人のお茶会ができたら至福の瞬間だろうなって思ってた」

とアンは言っていましたから、これくらいの女の子たちにとって友人を招いて(もしくは友人に招かれて)お茶会をすることは大人の象徴であり憧れの対象であるようです。


これも感覚的にはつかみにくいな~ただ家に遊びに行ったり来たりというのは普通にあるのでしょうから、お茶会というところがきっとポイントなのですよね。


ホスト、ゲストとなって台所を任されるというところが重要なのかなあ。


応接間のテーブルを木の実や葉で飾り付け、お茶を注ぐ練習をするアン。



このカットから、場面はギルバートの家に切り替わります。


ベッドの上の父が持つカップにお茶を注ぐギルバート。


病気の父親は休日で息子が家にいてくれることに感謝しています。


大人のお茶会に心弾ませるアンと、先の長くない父との休日を過ごすギルバートという対比になっており、その場面転換がお茶を注ぐカットなんですね。


この作品にはこういった手法が多用されています。


第4話の冒頭、アンが学校に行かなくなって数日あるいは数週間がたち、季節が変わったことを表す描写として薪割りのシーンがあります。


薪を割るギルバート、薪を運ぶルビー、薪を学校のストーブにくべるムーディー(ぽっちゃり男子生徒。たぶん)と、リレー形式でそれぞれの様子が描写されるのです。


日本のアニメやドラマでもたまにあると思いますが、こういったさりげないシーンのつなぎ方がとてもおしゃれだなと思います。



今回のストーリーの本筋とはあまり関係ありませんが、ギルバートの父親の病状についても少しずつ挿し込まれるシーンで描かれていきます。


実はギルバートの初登場の時から伏線が張られていて、久しぶりに学校に戻ったギルバートが友達に「お父さん(の病気は)良くなった?」と訊かれ、「あー、こっちに戻ってこられて喜んでる」と答えています。


これはおそらく療養あるいは入院のために赴いた地で回復の見込みがなくなり、最期の地としてアボンリーに帰ってきたことを示しているのでしょう。

(→後に、既に治療の余地がなく、最期の思い出としての旅行だったと判明)


実は初登場時から辛い境遇のギルバートだったのですね。


今回の話ではいよいよ父の死期が近づき、最期の時を一緒に過ごすためにまた学校をお休みするギルバートの様子が描かれていました。


父親のジョンとギルバート、そして日中家事の手伝いに来てくれているキンカウロ夫人?が出てきます。


キンカウロさんへの賃金の支払いも滞りがちなよう。


でも、長年の信頼があるのか夫人はあまり気にしていないようです。


平日の朝、自分の食事もそこそこに父の朝食の支度をし、父を残して学校に行くことにややためらいがありつつも、あわてて学校に向かうギルバート。


キンカウロ夫人への賃金の心配をするのもギルバートです。



アンもこれまでの人生なかなか辛いことが多かったでしょうが、今のギルバートの状況も見ていて非常に切ないですね。



話を戻しまして、アンとダイアナの大人のお茶会。


二人は大人の気分で「帽子とコートをお預かりします」「飾りつけが素晴らしいですね」などと、ホストとゲストになりきります。


お茶とお菓子を準備して、最初に木苺のジュースで乾杯するのですが、貯蔵室から持ってきたそれが実は赤スグリのワインだったのですね。


この時代背景ではお酒というものはあまり良くないもの、一部の人の嗜好品という位置付けらしく、例え大人用だとしても一般的な家庭に酒類があることは良く思われないようです。


このあたりは宗教的な意味合いがあるんじゃないかなーと予測しているのですが。


小さなグラスで何回もおかわりし合って酔っぱらった二人はマシューもマリラもいないグリーンゲイブルズでふざけ合って遊びます。


と言っても、マリラのものか亡くなったマリラたちの母親のものか、大人の洋服を身につけてごっこ遊びをしたりベッドに飛び乗ったり床に寝そべったり、という程度なのですが。


それでもダイアナの母親のエリザからすると許しがたい行為だったよう。


そのいたずらがどうとかっていうより、お酒を飲まされてしまったこと自体が大問題だったのでしょうね。


この時酔っぱらった二人が気づくとエリザは既にグリーンゲイブルズ2階のアンの部屋?まで来ていました。


このように、本作では人々が他人の家に比較的づけづけと入ってくる描写が散見されます。


古い田舎ですから、ご近所の家や親しい間柄であれば勝手に家に入ることは珍しくなかったようです。



アンのミステイクではあったものの、ワインとジュースの管理やアンへの伝達が不十分だったマリラも責任を感じます。


普段は厳しいマリラですが、今回はアンの気持ちによく寄り添っていました。



学校でしか顔を合わせることができなくなったアンとダイアナは、学校の備品室で親友の契りを交わします。


お互いの髪を一房ずつ切って交換し、相手を生涯の親友とすることを誓う、みたいな儀式だったのですが、何と言うかほんの少し馬鹿馬鹿しく、でもロマンチックで、この年頃の女の子らしい嘆きの儀式という感じですね。


「お元気で!」とか「これからは隣人でありながら離ればなれです」とか、現代社会の大人からすると「んな大袈裟な」という感じなのですが、当時の彼女たちには親の言いつけは絶対で、なんかもう恋人との交際を反対されて無理矢理別れさせられたみたいな気持ちなんでしょう。


そしてその別れを特別な誓いによってロマンティックで美しいものにしたいというところがアンのアンたる所以。


ダイアナもすっかりその気なのがちょっと微笑ましい笑



そして、そんな落ち込むアンをはからずも最上級に元気付けることとなった憧れのふくらんだ袖。


長々と語ってもいいですか?笑


もう本当に素晴らしく素敵なドレスなんですが、それを仕立てるまでのエピソードもまた素晴らしくて。


詳しく見てみましょう。👇️


語りが止まらなかったので別記事にしました笑



マシューと旧友ジェニーのおさな恋の再燃?を予感させつつ、アンに贈られた若草色のふくらんだ袖のドレス。


ジェニーはアンと直接顔を合わせることなくこのドレスを仕立てたわけですが、言葉数の少ないマシューが語ったアンの人となり、そこから感じられるマシューのアンへの愛情、そしてそれに応えようとするジェニーの想いが重なって、あのような素晴らしいドレスになったんでしょうね。


アンが初めてふくらんだ袖の服を身につけ出掛けたのは日曜日の教会。


マシューとマリラに挟まれて馬車に乗るアン、その3人の様子はまさに家族そのもの。


「マシューは子どもを甘やかしすぎですよ」と言いつつも、この朝のマリラはにこやかでとても優しそう。


マリラがアンに優しいとなんだか見ているこっちも嬉しくなりますね。


メチャメチャ厳しい人がふいに見せた優しさのせいだったりするんだろうね…なんつって笑



以上、アンという名の少女シーズン1 第6話の感想でした。


つづく。