変わっていく、家族〜その77〜 | ぽんこたつ欲しいみかんの毎日気分は凸凹~生きてるからこそ~

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母の介護、父の死をきっかけに2016年にうつ病になったことから、転職を繰り返し、仕事社会から離れて今は生活保護で暮らしています。家族のこと、日常の出来事、病気やメンタル、伝えたいことや空想、情報など思うまま綴るまとまりのないブログです。

今日を、迎えられたことに、感謝。



過去のことを振り返るブログを書いています。



ご興味のある方は読んでみてください。





(続き)

その夜、相方が実家に泊まりに来ました。

相方は、あの日、父と交わした手。

全身の力を振り絞って使っただろうことを、時々思い出しているようでした。


翌日。


父の葬儀が、ごくごく内輪の親族だけで、執り行われました。

叔父夫婦、その子供達(自分のいとこ)、叔父の兄夫婦、母の姉の息子、母の兄、父の妹の子供達、妹家族、相方…。

きっと、父が会いたかった人達…。


叔父夫婦の娘であるいとこが、母と相方と自分を迎えに来てくれました。


お寺に、続々集まる人達…。

誰もが、未だに父の死を信じられないまま…。

母は、畳に座れないため、椅子を借りて座っていました。

母は、話しかけられるたび、泣いていました。


きっと、動けないことが辛いのだろう…

いつも以上に泣き虫の母を、仕方ないと見守りました。



甥っ子が。

「じいじは?」

妹に、妹の旦那さんに、何度も尋ねました。

言葉を詰まらせる2人の代わりに…


「じいじは…遠いお空に行ったんだよ…」

自分に語りかけるように、静かに言いました。



そう…遠いお空に…


まだ幼い甥っ子に、事実を話すには、あまりにも酷すぎる……

でも……


甥っ子は、その幼い頭で、何かを感じ取ってるように見えました。




棺にお花、父の衣類などを皆で納め…


斎場へ…



収骨までは2時間もかかりませんでした。

本当に、あっという間に…


「腰の骨がだいぶ細くなっていました」

そう説明され、父の苦しんでいる様子がよみがえってきました。

すすり泣く声…


父が、いなくなってしまった…



収骨した箱と、写真などをお寺に持ち帰り、
食事会をしました。


甥っ子は何度も何度も、父のことを尋ねました。

悲しいけど、近いうちに嫌でも理解する時がくる…。


色々動いてくれた叔父が、立ち上がって挨拶をはじめました。

いつも気丈な叔父の声は次第に震え……


「…早すぎるよ…!!」

泣き出しました…


父の死…

きっと、母や自分より、叔父と叔父の兄の悲しみは深い……


父の妹、叔母が父の亡くなるほんの1年半前に、末期の卵巣ガンで亡くなりました…


自分にとっても、そのことのショックは、今でも辛い位、大きなものです。


妹と弟を失った哀しみ…


この場にいる誰もが、そのことを知っている。

叔父を、静かに見守りました。


自分は、ひとりひとりに挨拶をしながら、お酒やお茶をつぎ、まわりました。

妹は、膝が悪いと椅子に座り、残念ながら何もしようとはしませんでした。


これが、我が家の姿。


父は、どう思うかな…


ですが、思いも寄らない、穏やかな葬儀になりました。

皆、父の話をたくさんしました。

父が皆に好かれていたこと、それが心に染みました。


食事会も終わり、それぞれの帰路へ。


相方は、母と自分の2人で過ごしたほうがいいと、気遣い、先に帰りました。


そして、実家へ…

もう、父の居ない家。


腰を下ろした瞬間。


現実が、急に、一気に押し寄せてきて……


「……母ちゃん……」


「…父ちゃんが……死んじゃったよ……」


自分は……

急に身体の力が抜けて……

大声で泣いていました…


母は……うっすら涙を浮かべながら、こくんと頷きました。



……自分は……

いくつになっても、父と母の子供……

わかってしまったから…


そう…

幼い子供のように、ただ、泣き続けました…


父ちゃん、父ちゃん…

ありがとう…

ずっと、心の中に生き続けるよ……

声にならない、言葉を、ただ、父に届けたくて…