変わっていく、家族〜その65〜 | ぽんこたつ欲しいみかんの毎日気分は凸凹~生きてるからこそ~

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母の介護、父の死をきっかけに2016年にうつ病になったことから、転職を繰り返し、仕事社会から離れて今は生活保護で暮らしています。家族のこと、日常の出来事、病気やメンタル、伝えたいことや空想、情報など思うまま綴るまとまりのないブログです。

今日を、迎えられたことに、感謝。



過去のことを振り返るブログを書いています。



ご興味のある方は読んでみてください。





(続き)

家族全員が久々に揃いました。

それが、まさか病院になろうとは…。

そうならないでほしいと、心のどこかで願っていたのに…。

父は初めて見舞いにきた妹に、衣類の洗濯を頼みました。

その間、病室で話をしていましたが、父のいる病室は4人部屋。

車椅子の母と、自分と妹ではとても狭く、また精神的にも苦痛を感じました。

「みんな。ちょっと場所変えて話しない?」

自分は提案しました。

父は辛そうでしたが、特に反対もなく、場所を変えることにしました。


父を乗せる車椅子を借り、休憩スペースに移動することに。

父は自分が、母は妹が……

それぞれ車椅子を押しながら……。

受け入れられない現実でした。


2人とも、まだ慣れない車椅子を押し、休憩スペースに。

いちばん奥の、個室に入りました。


数時間ぶりに座り、自分が疲れているのがよくわかりました。


そして、あらためて本題に。

父は。

お菓子や重湯、キウイなどを食べてはもどす…というのを繰り返していました。

本人は、治療は緩和治療でいいと何度も言いました。

そして、母の事を心配していました。 



タクシーの契約はできましたが、配色サービスの方はまだ決まっておらず、それだけは早くやってほしいんだ……と自分に言いました。


「家に帰れるのがいつになるかわからない。


母さん、食事の事ちゃんと考えてほしいんだ」

そのことでずっと難色を示していた母にも、訴えるように言いました。

「……お金かかるから、あまり気がすすまないけど、ちゃんと考えるよ…」

母は力なく、答えました。


父の心配点を先に決め、再度治療の話に。


「緩和治療の病棟に移ると、もう病棟は変えられないって聞いた。それに、通常は入院らしいから、そうなると、いつまで入院になるかわからない」

看護師から聞いた話をあらためて家族に話しました。

問題は、そこ…。

「父ちゃん、転院は……無理かな…」

「無理…。ここでいい…」

しばらく話をしましたが、どうしても、決めることが出来ませんでした。


一旦、父に委ねることにし、帰ることにしました。



妹は自分の家に帰ると言いましたが、母が実家に寄るようにと説得しました。

2人に、大事な話があるから……と。

何かを覚悟したような、表情に見えました。




(続き)

母と妹と3人、タクシーで実家に帰りました。


家に着き、すぐに母は自分と妹に話はじめました。


「お父さんは、もしかしたらもう、ここには帰って来られないかもしれない。

あたしはこんな身体で動けないから、これから2人には色々とお願いしなきゃいけないと思うの。

お互い生活があるから、できる範囲で協力してほしい…」

2人とも、黙ったまま頷きました。


本当なら、もっと妹にも動いてもらなきゃならない状況。

それでも、何もしてこなかった彼女に、母は話をしたいと前日から自分に言っていました。


父の今の状況を受け入れたくない気持ちと、母を支えなければならない思いで、自分はおしつぶされそうになりました。

小一時間程話をして、妹が帰らないといけないと言うので、これ以上引き留めてもと言うことになり、2人で帰ることに。


不安そうな母に、自分は「夜電話するね」と言い残して……。


何年ぶりか、妹と一緒に電車に乗るのは。


2人で座席に座ると、自分の名前を呼ぶ声が。

あ!


自分の親友でした。

地元に残って生活している彼女に会うのは実に何年ぶりか!!

しんみりしていた気分が、再会の喜びで一瞬吹っ飛びました。


「わ~何年ぶり?元気?」

電車の中で、妹を交えて話がつきませんでした。

すっかり器の大きくなった彼女は、両親の話も変に同情せずに聞いてくれました。

なかなか友達に話せなかった。そんな時間もなかった。

この久々の再会は、自分にとっては大きな喜びでした。


本当はお茶か夕飯でも一緒にしたい気分でしたが、彼女は職場仲間との飲み会に行くということで、連絡先を交換して別れました。


そうだ。沈んでばかりはいられない。

向き合わなくては。


家に帰り、少し休んでから、自分は叔父に連絡をとろうと思い立ちました。

相談もあるけど、またお見舞いに行ってもらって、父と直接話をしてほしい。


叔父には何度目かの電話で、やっと連絡がとれ、状況を話しました。

もう、時間のある時に顔を見に行くというような、のんびりしている場合ではないことを感じたのでしょう…。

自分の話を聞き終わってからひとこと。

『わかった。明日行くよ』

明日は日曜日。


もしかしたら、兄弟、男同士でなければ話せないこともあるかもしれない。

父が、少しでも気持ち的に安らいでくれることを祈りました。


(続く)