今日を、迎えられたことに、感謝。
過去のことを振り返るブログを書いています。
ご興味のある方は読んでみてください。
(続き)
家族全員が久々に揃いました。
それが、まさか病院になろうとは…。
そうならないでほしいと、心のどこかで願っていたのに…。
父は初めて見舞いにきた妹に、衣類の洗濯を頼みました。
その間、病室で話をしていましたが、父のいる病室は4人部屋。
車椅子の母と、自分と妹ではとても狭く、また精神的にも苦痛を感じました。
「みんな。ちょっと場所変えて話しない?」
自分は提案しました。
父は辛そうでしたが、特に反対もなく、場所を変えることにしました。
父を乗せる車椅子を借り、休憩スペースに移動することに。
父は自分が、母は妹が……
それぞれ車椅子を押しながら……。
受け入れられない現実でした。
2人とも、まだ慣れない車椅子を押し、休憩スペースに。
いちばん奥の、個室に入りました。
数時間ぶりに座り、自分が疲れているのがよくわかりました。
そして、あらためて本題に。
父は。
お菓子や重湯、キウイなどを食べてはもどす…というのを繰り返していました。
本人は、治療は緩和治療でいいと何度も言いました。
そして、母の事を心配していました。
タクシーの契約はできましたが、配色サービスの方はまだ決まっておらず、それだけは早くやってほしいんだ……と自分に言いました。
「家に帰れるのがいつになるかわからない。
母さん、食事の事ちゃんと考えてほしいんだ」
そのことでずっと難色を示していた母にも、訴えるように言いました。
「……お金かかるから、あまり気がすすまないけど、ちゃんと考えるよ…」
母は力なく、答えました。
父の心配点を先に決め、再度治療の話に。
「緩和治療の病棟に移ると、もう病棟は変えられないって聞いた。それに、通常は入院らしいから、そうなると、いつまで入院になるかわからない」
看護師から聞いた話をあらためて家族に話しました。
問題は、そこ…。
「父ちゃん、転院は……無理かな…」
「無理…。ここでいい…」
しばらく話をしましたが、どうしても、決めることが出来ませんでした。
一旦、父に委ねることにし、帰ることにしました。
妹は自分の家に帰ると言いましたが、母が実家に寄るようにと説得しました。
2人に、大事な話があるから……と。
何かを覚悟したような、表情に見えました。
(続き)
母と妹と3人、タクシーで実家に帰りました。
家に着き、すぐに母は自分と妹に話はじめました。
「お父さんは、もしかしたらもう、ここには帰って来られないかもしれない。
あたしはこんな身体で動けないから、これから2人には色々とお願いしなきゃいけないと思うの。
お互い生活があるから、できる範囲で協力してほしい…」
2人とも、黙ったまま頷きました。
本当なら、もっと妹にも動いてもらなきゃならない状況。
それでも、何もしてこなかった彼女に、母は話をしたいと前日から自分に言っていました。
父の今の状況を受け入れたくない気持ちと、母を支えなければならない思いで、自分はおしつぶされそうになりました。
小一時間程話をして、妹が帰らないといけないと言うので、これ以上引き留めてもと言うことになり、2人で帰ることに。
不安そうな母に、自分は「夜電話するね」と言い残して……。
何年ぶりか、妹と一緒に電車に乗るのは。
2人で座席に座ると、自分の名前を呼ぶ声が。
あ!
自分の親友でした。
地元に残って生活している彼女に会うのは実に何年ぶりか!!
しんみりしていた気分が、再会の喜びで一瞬吹っ飛びました。
「わ~何年ぶり?元気?」
電車の中で、妹を交えて話がつきませんでした。
すっかり器の大きくなった彼女は、両親の話も変に同情せずに聞いてくれました。
なかなか友達に話せなかった。そんな時間もなかった。
この久々の再会は、自分にとっては大きな喜びでした。
本当はお茶か夕飯でも一緒にしたい気分でしたが、彼女は職場仲間との飲み会に行くということで、連絡先を交換して別れました。
そうだ。沈んでばかりはいられない。
向き合わなくては。
家に帰り、少し休んでから、自分は叔父に連絡をとろうと思い立ちました。
相談もあるけど、またお見舞いに行ってもらって、父と直接話をしてほしい。
叔父には何度目かの電話で、やっと連絡がとれ、状況を話しました。
もう、時間のある時に顔を見に行くというような、のんびりしている場合ではないことを感じたのでしょう…。
自分の話を聞き終わってからひとこと。
『わかった。明日行くよ』
明日は日曜日。
もしかしたら、兄弟、男同士でなければ話せないこともあるかもしれない。
父が、少しでも気持ち的に安らいでくれることを祈りました。
(続く)