【東邦吹奏楽部が準決勝で大阪桐蔭と魅惑の初コラボ】



2日にセンバツ準決勝に臨む東邦(愛知)が「本家」の応援を味方につける。海外遠征中だった同校の吹奏楽部が準決勝から駆けつける。留守の間の3試合、東邦の演奏をしてくれていた大阪桐蔭の吹奏楽部と初めてコラボすることも1日、正式決定した。平成最初と最後のセンバツ制覇へ、バックアップする。



合流するのは吹奏楽部マーチングバンドの28人。愛知東邦大や、東邦OBらも数人加わる予定で、数十人規模になる。当初は準々決勝で大阪桐蔭がお役御免の予定だったが、準決勝以降も「続投」することになった。東邦関係者は「大阪桐蔭の(吹奏楽部の)生徒たちも喜んでくれていると聞きました。これまで、桐蔭オリジナルの演奏が流れると、うちの選手がよく打っている。それも喜んでくれています」と話した。



両校とも野球部同様に、全国屈指の名門だ。短期間で東邦の演奏スタイルをコピーした大阪桐蔭と、本家のコラボで魅惑のパフォーマンスが生み出されそう。「美爆音」で今大会も注目されている習志野(千葉)との決勝カードになれば、応援対決も熱くなる。「東邦の演奏も聞きたいので、準決勝まで勝ち残りたい」と目標にしていた東邦の選手たちも喜んでいる。



一方で準決勝の相手の明石商(兵庫)にも好影響があるかもしれない。明石商のエース中森俊介(2年)は以前から大阪桐蔭の曲が好きで「かっせー! パワプロ」などを動画サイトで見たこともある。



前日の智弁和歌山戦は「魔曲」と相手校に恐れられるチャンステーマ「ジョックロック」が流れた。「脅威でしたが、生で聞けて、楽しさもありました。口ずさみはしないけどマウンドで聞いています。明日も楽しんで投げたいと思います」。敵の応援を自分の力に変えるつもりだ。






























『バンビ君』(坂本佳一)を、思い出す!



東邦高等学校へ進学し、野球部へ入部。中学校までは打者としての経験しかなかったものの、監督の阪口慶三に肩を見込まれ投手に転向し、野球部では1年生時からエースとして活躍。愛知県代表として出場した1977年の夏の甲子園では、華奢な体格ながらひたむきに投げ続ける姿勢が好感を呼び、マスコミから「黒ヅル君」(大会中。首が長いことから)、「バンビ」(大会終了以降)の愛称を付けられた。東邦は坂本の活躍もあって決勝戦まで勝ち上がり、松本正志(元阪急)擁する東洋大学附属姫路中学校・高等学校を相手に好投するも、10回裏にサヨナラ3ランホームランを打たれ準優勝に終わった。




あの時は、準決勝&決勝戦と、TDK(トランペットもドラムスも、感度がいいよTDK、ティキティキティw)の120分のカセットテープに、テレビの実況中継吹き込んだもんだ!





その悲劇性も加わって佳一の人気は最高潮に達し、自宅の周囲にもファンが押し寄せるほどであった。しかし2年生以降は甲子園出場はならなかった。なお愛知県勢の夏の甲子園決勝進出は2009年の中京大中京(優勝)まで現れなかった。










東邦高校野球部監督の『森田泰弘監督』は、本人も東邦高校野球部の出身で、甲子園出場経験がある。



1977年の夏の甲子園で準優勝をしている。

当時は主将で4番打者であった。

森田泰弘監督が3年生の時に1年生である『バンビ坂本』選手がいたのは記憶にある方もいるだろう。

夏の甲子園で準優勝という成績を残したのは素晴らしい事で

守備位置は三塁手だった。高校を卒業後は駒澤大学へ進学し大型三塁手として活躍が期待されていたが肉離れの怪我で苦労した。

その後、社会人野球へ進み本田技研鈴鹿でプレーした。






【森田泰弘監督の指導者としての経歴】



本田技研鈴鹿の3年目に怪我の影響で思うようにプレーできなかった森田泰弘監督をマネージャーとしてチームに残る事を進められた。










同時期に前監督の『阪口慶三監督』から声が掛かり、『学校がコーチを職員として採用してくれるとのことなので、一緒にやらないか?』これがきっかけで、東邦高校野球部コーチとして1984年に就任した。



東邦高校野球部のコーチとして20年間指導し、阪口慶三監督の元で指導方法などを学んだ。



阪口慶三監督は春13回、夏11回の甲子園出場を果たしている名将である。





 




現在は岐阜・大垣日大高校野球部で監督をしている。










『阪口監督』&『坂本佳一』




バンビ君は、阪口監督抜きでは語れない。森田泰弘君も、阪口監督抜きでは語れない、素晴らしい名将である。イチローが豊山町に対し、阪口監督は隣町の、岩倉市に住んでいた!































一塁走者の東邦・河合が治療のためベンチに下がった。0―0の七回2死一、二塁、左打席にいた7番・2年生の吉納のカウントは1ボールだった。攻める側にも守る側にも「間」が生まれた。



 

【決勝3ランをたたき込んだ東邦・吉納の一打】



 「力まずフルスイングしよう」。吉納はそう気持ちを整理した。2ボールからの3球目。明石商の右腕・中森に対して「カウントを取りに来るから次は真っすぐ」との読み通りにきた速球を捉えると、滞空時間の長い飛球は中堅左のスタンドへ飛び込んだ。

 

 フルスイングは吉納の持ち味だ。パワーを買われ、1年生の春から控えチームでは4番を務めた。だが、難点は力んで強く振り過ぎること。強いスイングで球を捉える打者によくみられる手首の骨折も昨夏に経験した。今大会では当初5番を任され、広陵との2回戦で2安打3打点と活躍したが、筑陽学園との準々決勝では力みが出て5打数無安打3三振。前日の練習でも力みが取れていなかった。



 前日のミーティングで打順を7番に下げられることを知ると、「まだ2年生。楽に打たせよう」という森田監督の温情を感じ取るより先に、悔しさを感じた。夜もバットを振り込んだ。「結果が出なければ明日はない」。覚悟のひと振りは、自信を取り戻すひと振りでもあった。










『明石商業』が八回表、2点入れた時は、どうなるか?と、思ったけど!。あの時の、『東洋大姫路』の悪夢が、脳裏を横切った!

















九回は、三者三振で締めたから、明日は『優勝』しかないなっ!






































父も父なら、息子も息子。石川投手は、『血統書付き』だねっ!










明日は、『習志野高校』(千葉県代表)と、いよいよ決勝戦。最近知り合った友達が、『東邦高校』の野球部OBで、今日から甲子園に、応援に行くと言っていた!。もし優勝したら、監督か選手のサイン頼まんと、あかん!





高校時代、名電高校の友達が、『森田君』と仲が良かったから、モンスターさんの友達の友達が、『森田泰弘監督』と言う関係かな!w






『頑張れ!東邦高校』





石川投手、肩を慣らし(ならしの)てから、行こうや!






#第91回選抜高校野球大会#センバツ#準決勝#東邦高等学校#明石商業高等学校#甲子園#森田泰弘監督#大垣日大#阪口慶三監督#1977年夏の甲子園#準優勝#決勝戦#習志野市立習志野高等学校#石川昴弥投手#バンビ君#坂本佳一#