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元横綱・曙太郎さん死去 医師も「31歳にして老人」と指摘、本誌に激白していた「悲痛引退」の“原因” 4/11(木) 16:52 Yahoo!ニュース 89
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2001年2月、力士引退直後に本誌のインタビューに応じた曙太郎さん 外国人初の横綱として、若乃花・貴乃花らとしのぎを削った、第64代横綱「曙」こと曙太郎さんが、心不全で亡くなっていたことがわかった。54歳だった。7年前に北九州市で倒れて以来、闘病生活を続けていた曙さんは、東京近郊の病院に入院していたという。 【写真あり】31歳にして「老人の膝」…曙太郎さんを苦しめた膝の「レントゲン写真」 「曙さんは1988年の春場所で初土俵を踏み、1992年夏場所で初優勝し、場所後に大関昇進。1993年初場所で2場所連続優勝を果たし、第64代横綱に昇進しました。2mを超える長身を生かした突き押し相撲で、11回の幕内優勝を遂げた一方、膝のケガに悩まされ続け、2001年の初場所を両膝悪化で全休。回復が見込めないことから『横綱として、みじめな姿で土俵に上がれない』と、現役を引退しました」(スポーツ紙記者) 2001年2月、引退して間もない曙さんは、本誌の取材にこう答えていた。 「引退するって口に出したら、力士は終わり。毎場所のように膝が痛み、膝に爆弾を抱えているようなものでした。痛み止めを打って、体をだましだまし、相撲を取っていたんです……」 曙さんの、膝をめぐる苦悩は10歳のときからだったという。 「10歳のときに、アメフトで横からぶつけられて、半月板を損傷して手術したんです。それがずっと尾を引いて、中学・高校時代も痛かった。アメリカで車を運転していたときも、障害者用のステッカーを貼っていたほどですからね。新弟子時代も痛みはあって、入門当時から膝にサポーターをつけて稽古をしていました」 当時、整形外科医として曙さんの主治医をつとめていた土屋正光氏(現・同愛記念病院名誉院長)は、曙さんの膝の状態について次のように話していた。 「曙が最後にうちに来たのは、去年(2000年)の12月19日でしたね。膝の具合が悪いから初場所(1月)は休場したいということでしたが、痛み止めの薬を飲むと心臓が苦しくなると訴えてましたから、これは相当、深刻なんだなと……」 取材時の曙さんは、本誌に向けて膝のレントゲン写真も公開。膝と膝の間の軟骨がすり減ってしまった変形性膝関節症の状態で、31歳にして「老人の膝」になってしまっていた。土屋氏は「いちばんの原因は太りすぎ」として、早急に体重を減らさなければいけないと指摘していた。 それは、曙さん本人もわかっていたようで、「相撲取りとしては太りすぎたのが直接の原因かな。膝への負担が大きすぎる」と反省。 「とにかく、いまはやせようと思ってます。いま、230kgだから、なるべく早く200kgくらいにしようと……もう相撲を取らなくていいから、薬は飲みたくないね、体に悪いですから。もう、メスも入れたくないですよ」 そんなふうに語っていた。 現役時代、膝のリハビリがうまくいかず「奥さんに八つ当たりしたこともあった」と、苦笑しながら反省していた曙さん。亡くなる直前に、夫人へ伝えた最後の言葉は「アイ・ラブ・ユー」だったという。合掌。
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■格闘技・プロレス時代
◆03年34歳
九州場所前、日本相撲協会に退職願を提出。その後、K-1参戦表明。大みそかのボブ・サップ戦で格闘家デビューし1回KO負け。
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◆04年35歳
大みそかに総合格闘技ルールでホイス・グレイシーと対戦し、1回タップアウト負け。
◆05年35歳
3月に米WWEのスマックダウン大会でプロレスデビュー。8月にはプロレスの師匠と仰いだ武藤敬司が社長を務めた全日本プロレスに参戦。大みそかにはタレントのボビー・オロゴンと総合格闘技ルールで対戦し判定負け。
◆06年36歳
1月4日の新日本東京ドーム大会に参戦。同下旬にはノア日本武道館大会で花の六三組で同期の力皇とタッグ結成。
◆07年38歳
8月に曙そっくりの「モンスター・ボノ」としてハッスルに参戦。
◆12年43歳
大仁田厚と電流爆破デスマッチを行い、勝利した。
◆15年46歳
12月に自ら主宰するプロレス団体「王道」を設立。
◆17年47歳
4月のプロレス団体DDT福岡大会に出場。メインの6人タッグ戦を終えた後、体の不調を訴えて北九州市内の病院に救急搬送された。心不全と診断され、一時心臓が止まったが、電気ショックなどで再び動き出した。
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◆18年49歳
倒れてから1年。都内の病院で懸命にリハビリ。一時はベッドから起き上がることさえできなかったが、10メートル程度は自力で車いすを動かせるようになった。
◆19年50歳
元付け人で41歳で亡くなった元潮丸の東関親方の通夜に訪れる。「悲しい。早すぎる」と涙を流した。
◆24年54歳
4月に心不全のため死去。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240412/07/0906akbakb-2019/6c/df/j/o0452067815424696942.jpg?caw=800)
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大相撲の第64代横綱を務めた米国ハワイ出身の曙太郎さんが54歳で心不全のため亡くなっていたことについて、同じハワイ出身の武蔵川親方(52=元横綱武蔵丸)は11日、同部屋のインスタグラムを更新。
「今はショックな気持ちが大きいです。心からご冥福をお祈りいたします。Thank you Bradda.」と記した。最後のBraddaとは仲間、親友の意味がある。ハワイ巡業で小錦らとともに撮った写真も掲載した。
“曙キラー”貴闘力「俺が場外乱闘するパワーがないから…」プロレスでの国技館決戦は実現せず
「曙キラー」として知られた元関脇の貴闘力忠茂氏(56)が11日、曙さんの死を悼んだ。
現役時代、幕内で44度の対戦があり、貴闘力の15勝29敗(優勝決定戦含む)。金星9個のうち、7個は曙さんから挙げた。横綱経験者を除けば、曙さんから最も勝った力士だった。貴闘力さんは当時を「楽しみだったよね」と振り返り、「相手に力を出させない当たり方を考えた。相手の肘を伸ばさせない。伸びても上に逃がすとかね。立ち合いはやっぱり、一番気を使いましたよ」と明かした。結果的に、同部屋の横綱若乃花、貴乃花をアシストすることもあった。
互いに引退した後、プロレスで対戦する可能性があった。貴闘力さんは期間限定でプロレスに参戦。2015年3月20日のリアルジャパン後楽園ホール大会では、リングサイドで2人はにらみあった。
「最後にやろうと話をしていた。あそこでにらみ合って、俺が場外乱闘するパワーがないから、にらみ合って終わりだった。北の湖理事長(当時)には『引退相撲と同じ金額で国技館を借りてもいいですか』と聞いたら、『ちゃんと金はもらうぞ』って言われた(笑い)」
その後、曙さんが体調不良となったため、対戦は実現しなかった。貴闘力さんは「曙のことは好きだった。亡くなって残念、ご冥福をお祈りします」としのんだ。
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曙 太郎(あけぼの たろう、1969年5月8日 -2024年4月 )は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ワイマナロ出身で東関部屋に所属した元大相撲力士。第64代横綱(外国人初の横綱)。のちにプロレスラー、総合格闘技家、タレントに転向。血液型O型。格闘技、プロレス分野では曙(あけぼの)のリングネームで活動していた。2013年、東関部屋に招聘されて以降、師範代をつとめていた。
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【曙関】ありがとう!
【曙関】の、御冥福をお祈りします。
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