【2021年2月23日(火曜日)】『東海道五十三次めぐり』と、『関東高校野球強豪校めぐり』と、『NHK大河ドラマ「青天を衝け」めぐり』※2日日

手前が『金谷町』で、川を渡ったら、『島田市街』かな?

越すに越されぬ大井川

「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と詠まれたように、江戸時代、大井川は東海道の難所の一つでした。
橋がなく流れが急な川は、川越人足の肩や連台に乗って渡るしかなく、雨で増水ともなれば川留めになり、最高で28日間川留めが続いた記録が残ります。
当時の様子を今に見ることができるのが、旧東海道沿いの「大井川川越遺跡」です。
旅人が川を渡るための「川札」を買った川会所をはじめ、川越人足が待機していた番宿、川札を換金した札場などの街並みなどが復元されています(国指定史跡)。

  • 着物の女性が連台といういかだのようなものに乗って川を渡る様子が描かれた江戸時代の絵
  • 大井川川越遺跡の画像
『旧東海道』らしい雰囲気!

『旧東海道石畳』へ、到着!

この下の道も、『東海道』だねっ!。ここだけ、真っ直ぐでもなく、曲がっているけど?

かなり、急な坂だな!

歩いて、上がって行くか?

結構、キツイなっ!

何!、何!、何!

ここまでは、車で来られるんかい?。最初に、言ってくれよっ!

ここからが、旧東海道『金谷坂の石畳』上り口!

その前に、『ウオーミングアップ』で、石畳の前で寝たろかしら!


旧東海道『金谷坂の石畳』その一、


写真撮るだけだから、まさか100均のゾリで、上まで上がるとは?


『スーツ交通くん』も、自転車で諦めた場所!


旧東海道『金谷坂の石畳』そのニ、



いにしえの街道の面影を今に伝える金谷坂の石畳


江戸時代、金谷坂は急坂なうえに「あおねば」と呼ばれる粘土層が露出しており、雨が降るとぬかるみ大名行列や旅人は大変苦労しました。

そこで江戸時代末期、約400間(約720m)の石畳が「山石」を敷き詰めて造成されました。

この時使われた山石は、牧之原台地の耕作土の下に厚く堆積している「牧之原礫層」に含まれている大井川の河原石と同じ丸石で、現在の大井川の河原石よりもザラついて滑りにくいものです。

明治以降、電話線や電線等の敷設により掘り起こされ、その後舗装されたため、もとの面影は失われていました。

平成3年(1991年)、町おこし事業として「平成の道普請・町民一人一石運動」により、約7万1000個の「山石」を敷いた、430mの石畳が復元されました。

「旧東海道と石畳(金谷坂)」は昭和60年2月23日に市指定文化財に指定されています。


上の、『ゴール地点』が、見えたわっ!

ここまでで、『ギブアップ』。ちゃうちゃう、『ブログアップ』だから、止めとこう!w

こんな、ガタガタ道を、よくゾリで上がって来たわっ!

まだ、江戸時代の『わらじ』の方が、マシやわっ!







石畳の中腹の六角堂には「すべらず地蔵尊」が祀られており、石畳が「すべらない山石」を用いていることにちなんで、合格祈願の名所となっています。

毎年1月中旬には「すべらず地蔵尊合格祈願祭」が開催されます。

※カーナビの場合は「meguri 石畳茶屋」と入力してください。すぐそばです。
meguri 石畳茶屋→島田市金谷坂町2482-1 ☎0547-45-5715


ダウンも着ていないから、疲れて『ダウン』だ!。弟の日生第二学園の同級生は、『ダウンタウンの浜ちゃん』だ!w

あの車が恨めしい。ちゃうちゃう、羨ましい!w

下の『ゴール』が、何とか見えて来たわっ!

まだ、あるんかい!

遠州金谷宿『柏屋本陣跡』


金谷宿(かなやしゅく、かなやじゅく) は、東海道五十三次の24番目の宿場である。遠江国最東端の宿場町である。

歌川広重「東海道五十三次・金谷」
葛飾北斎「東海道金谷の不二」
歌川広重「五十三次名所図会 廿五 金谷」


現在の静岡県島田市金谷。大井川の右岸(京都側)にあり、牧之原台地が迫る狭隘な場所であるが、増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、さながら江戸のような賑わいをみせた。

『旧東海道』

『旧東海道』

『一番本陣跡』



次の、23番目の宿場町『島田宿』へ、向かう!




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