【2021年2月22日(月曜日)】『東海道五十三次めぐり』と、『関東高校野球強豪校めぐり』と、『NHK大河ドラマ「青天を衝け」めぐり』※初日

『御油の松並木』


ここは、平成5年〜平成12年?まで、宝飯郡御津町の『出光マリンズ三河御津』に、クルーザーを持っていた時には、国道1号線の裏道で、しょっちゅう利用していたから、かなり懐かしい!







御油宿(ごゆしゅく、ごゆじゅく)は、東海道五十三次の35番目の宿場である。現在の愛知県豊川市御油町に所在する。街道の面影を残す松並木(御油の松並木)が美しいことから観光地になっている。

歌川広重『東海道五十三次・御油』。「留め女」と呼ばれる旅籠の女が旅人らを無理矢理引きずり込もうとしているさまを描く


地図を見る限りでは、【脇本陣】はイチビキの敷地内!

『旧東海道』


細い路地は、やはり昔の名残がある!


『音羽川』

昔、よ〜〜〜く、『サンパチセット』買っていた、LOTTERIAだ!

『旧東海道』の、標識あるねっ!

『うなぎ屋さん』では、大好物なうなぎの蒲焼きが、浜名湖にも割りと近いし、食べたくなるではないか?

【吉田宿本陣跡】(愛知県豊橋市)


吉田宿(よしだしゅく、よしだじゅく)は、江戸時代に設定された東海道五十三次の江戸側から数えて34番目の宿場である。現在の愛知県豊橋市中心部に相当する。

歌川広重『東海道五十三次・吉田』



豊川対岸から望む吉田城

慶長6年(1601年)の伝馬朱印状があり、東海道が設定された当初からの宿場であった。江戸の日本橋より西方73里(約287Km)に位置し、東の二川宿とは1里20町(約6.1km)、西の御油宿とは2里20町(約10.5km)離れており、町並は23町30間(約2.6km)の長さがあった。征夷大将軍の徳川将軍家の老中・大坂城代・京都所司代格の大名の吉田藩の所領であり、吉田城城下町と湊町(吉田湊、船町)を合わせた宿場町であった。表町12町と裏町12町の計24町で宿を構成されており、本陣が2軒、脇本陣が1軒、旅籠は65軒あった(1802年)。戸数は約1,000軒で人口は5,000から7,000人ほどであった。本陣のあった札木町(豊橋市札木町)は吉田城大手門のそばにあり、また人馬継立の問屋場もあった(現在のNTT西日本三河支店のあたり)ため、中心として賑わった(最寄りの交通機関は豊橋鉄道東田本線札木停留場)。



『旧東海道』

左の建物が、人馬継立の問屋場もあった(現在のNTT西日本三河支店)


江戸時代なら、『旅籠』に泊まらないといけない、暗さだわっ!

『豊橋市二川本陣資料館』


旅籠屋『壺屋』


『西駒屋』


二川宿(ふたがわしゅく、ふたがわじゅく)は、東海道五十三次の33番目の宿場である。三河国最東端の宿場町である。征夷大将軍の天領であった。現在の愛知県豊橋市二川町と大岩町に相当する。

歌川広重『東海道五十三次・二川』





1601年(慶長6年)の東海道設定当初から、三河国渥美郡二川村と大岩村の2村で宿場として人馬継立業務を担当していた。しかし小さな村であり、また1.3Kmほど離れていたため、しばらくすると負担に耐えられなくなった。江戸幕府は1644年(正保元年)に二川村を西に、大岩村を東に移動させ、二川宿と加宿大岩町として再構成させた。江戸の日本橋より西に72里3町 (単位)(約283km)に位置し、東の白須賀宿とは1里17町(約5.8km)、西の吉田宿とは1里20町(約6.1km)離れており、町並は12町16間(約1.3km)の長さがあった(二川宿は6町36間、大岩町は5町40間)。二川宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠が約30軒ほどあり大岩町は宿ではなく町であったため旅籠は設置されなかった。二川宿の本陣は数度の大火に遭い、そのたびに再建されてきたが、明治後も取り壊されずに残った本陣の一部は1988年に改修・復元が行われ、また資料館が併設された。本陣一帯は豊橋市の史跡に、1807年以降の宿帳33冊は愛知県の有形民俗文化財とされている。

明治維新後東海道沿いに設置された鉄道は通過するだけだったが、鉄道の便利さが認識された後、請願が通り、駅が増設され、旧二川宿と旧加宿大岩町の中間に二川駅が設置された。駅の位置が二川宿の西端と離れていたため、宿場町周辺の開発がほとんど行われず、現在も二川駅からシンフォニアテクノロジー豊橋工場あたりまでの約2km余りに旧宿場町の面影を残している。





本日の旅は、これが限界!


どの『旅籠』に、泊まろうとするか?


あっ!、『車中泊』やったわっ!w


【2021年2月23日(火曜日)】『東海道五十三次めぐり』と、『関東高校野球強豪校めぐり』と、『NHK大河ドラマ「青天を衝く」めぐり』※2日日





道の駅『潮見坂』で、朝を迎える!


『太平洋』

海が、綺麗だねっ!


『海岸へ歩いていけます』は、白ん須賀った!(知らんかった)w

ここから、高架をクグッて行くんだ!

次回は、行ってみよう!

見事な、太平洋から朝陽が上る『シルエット』

『潮見坂』(旧東海道)

こちらも、さっきと勝る光景!



東海道五十三次『潮見坂』


『旧東海道』

『白須賀宿』


白須賀宿(しらすかしゅく、しらすかじゅく)は、東海道五十三次の32番目の宿場である。現在の静岡県湖西市白須賀。遠江国最西端で、且つ、現在の47都道府県でも静岡県最西端の宿場町である。西の加宿境宿で売られていた柏餅は、白須賀宿の名物として有名だった。

歌川広重『東海道五十三次・白須賀』


『セブンイレブン』湖西スズキ工場前店!

朝陽が、夕陽のようだ!

当時の、名前が!












『白須賀宿問屋場跡』 




『白須賀宿大村本陣跡』



現在は、この建物!


少し行った場所に、『伊能忠敬🗾地図測量地点』





『旧東海道』(新居地区)

新居宿(あらいしゅく)は、東海道五十三次江戸の・日本橋から数えて31番目の宿場。旧国名は遠江国、現在の静岡県湖西市新居町新居に相当する。

歌川広重『東海道五十三次・荒井』


【新居関所】









































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