【2020年11月22日(日曜日)】十五泊十六日!おまかせコース・気まぐれ旅!7日目 

飯盛山の、『白虎隊自刃地』をあとにして、次の目的地『鶴ケ城』へ!

またまた、パーキングをどこにしょうか?、ぐるぐるナインティナイン!

『25分未満無料』に、釣られて!

『鶴ケ城』まで、徒歩5分だし!

このパーキングに、決めた!

入庫13:03『ツルカンパーキング』(鶴瓶経営)





30分/200円と言う事は、60分/400円だから、『ツルカンパーキング』は、60分/200円で比べると、【倍返し】って事ねっ!


ただし、『天守に一番近いパーキング』




『若松城跡』

若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にあった日本の城である。地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と呼ばれるが、同名の城が他にあるため、地元以外では会津若松城と呼ばれることが多い。文献では黒川城、または会津城とされることもある。国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。













新島 八重(にいじま やえ〈やゑ〉、弘化2年11月3日1845年12月1日) - 昭和7年(1932年6月14日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本の女性。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓山本。一部の手紙などでは「八重子」と署名してあることから、史料によっては新島八重子と書かれる場合もある。勲等勲六等宝冠章皇族以外の女性としてはじめて政府より受勲した人物。

にいじまやゑ
新島八重
Niijima Yae.jpg
新島八重

会津時代編集

弘化2年(1845年)、会津藩の砲術師範であった山本権八佐久夫妻の子として誕生する。慶応元年(1865年)、但馬出石藩出身で藩校日新館の教授を務めていた川崎尚之助と結婚。慶応4年/明治元年(1868年)に会津戦争が始まると、鉄砲を主力に戦うべきと考え刀や薙刀で戦うとした婦女隊には参加せず、断髪・男装して家芸であった砲術をもって奉仕し、鶴ケ城籠城戦では自らもスペンサー銃を持って奮戦した。敗戦後、捕虜となった夫と生き別れる。











































お城の中から、結構行列があるねっ!



さすが、3連休の『中日』だが、大相撲は『千秋楽』w



どんどんどんどん、行列が増えている!
















『若松城碑』







『焼だんご』は、ハズせない!


団子屋のおじさんが、どうせブログにあげるなら、お店の看板も撮してだって!

ちゃっかりしてはるわっ!



『入庫』(13:03)
『出庫』(14:02)


なに、この計算したみたいな『59分』は!

『猪苗代町』へ、入る!



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