国宝『彦根城』を後にして

♪お腹が空いては、戦ができぬ!


【2020年4月29日(水曜日)】※四泊五日の旅!※最終日
『吉野家』彦根店9:20〜10:00迄









だから〜〜〜〜?

ごはん無料お替りなのに、伝票2枚目持ってくんなて!(吉野家の運営会社さん、これ考えて下さい。w)




お腹が膨れたので、戦の準備が整う!



『佐和山城跡』

犬山出発から、『736.7km』〜13:15

『道田家』と『佐和山城』との関係は?




佐和山城の建造物は彦根城へ移築されたもののほかは徹底的に城割されたため、城址には何も残っていない。しかしそれでも、石垣の一部、土塁曲輪、千貫井戸跡や西ノ丸にある焔硝櫓跡・塩櫓跡などの施設が一部に現存しており、また、ときとして新たに遺構が発見される。




天正13年(1585年)には、転封となった堀家に替わって堀尾吉晴が入城。さらに石田三成が入城したとされる。入城時期については天正18年(1590年)7月説と、文禄4年(1595年)7月説があったが、伊藤真昭の研究により、天正19年(1591年)4月であることが確定した(ただし、伊藤は天正19年の入城は城代・蔵入地代官としての入城で、三成が正式に佐和山城主に任じられて北近江4郡を与えられたのは文禄4年7月であったことも立証している)。 三成は、当時荒廃していたという佐和山城に大改修を行って山頂に五層(三層説あり)の天守が高くそびえたつほどの近世城郭を築き、当時の落首に「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と言わしめた。ただし、三成は奉行の任を全うするために伏見城に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父の正継であった。城内の作りは極めて質素で、城の居間なども大抵は板張りで、壁はあら壁のままであった。庭園の樹木もありきたりで、手水鉢も粗末な石で、城内の様子を見た当時の人々もすこぶる案外に感じたと記されている(『甲子夜話』)

Aコース3.2km、Bコース4.6kmでは、モンスターさんの足が持ちましぇん!





佐和山城図

坂田郡および直近の犬上郡のみならず、織豊政権下において畿内と東国を結ぶ要衝として、軍事的にも政治的にも重要な拠点であり、16世紀の末には織田信長の配下の丹羽長秀豊臣秀吉の奉行石田三成が居城とし、関ヶ原の合戦後は井伊家が一時的に入城したことでも知られる。

『佐和山城跡』を後にしたモンスターさんは、一路『大垣城』へ!

てっきり、『JR関ヶ原駅』だと思って、撮ったのに?

『JR醒ヶ井駅』だった!w

関ヶ原の、『徳川家康最初陣地』は ?

行きに寄ったから、通過!

右側に、ファッションセンター『しまむら』『しまむら』、しましま『しま左近』じゃないのか?w

ファッションセンター『しまむら』関ヶ原商品センター

『しまむら』の看板が、2つあるのは珍しい!

ファッションセンター『しまむら』垂井店



寄りたいのは山々だが、『大垣城』からの『墨俣城』からの、各務原市『♨平和湯』からの、『いきなりステーキ』愛知大口店からの、『清洲城』からの『名古屋城』からの『小牧山城』からの、『犬山城』へ行かないといけないので、ハードスケジュールっ通過!





#滋賀県彦根市#吉野家彦根店#朝食#佐和山城跡#石田三成#島左近#国宝彦根城#ファッションセンターしまむら関ヶ原商品センター#ファッションセンターしまむら垂井店##