「手に職つけない」

いつもママから言われていた

 

私の中学生時代

長距(と言っても2きろ程度ww)離走るのが好きで、陸上部だったけど

しょぼすぎだった

特技なんて何もない

下の下だ

門限17時とか言われて、厳しいから

友達との遅い時間のお付き合いは禁止

 

親友なんていなかった

その場しのぎな感じの友

自分から行かないと相手にされることもなく

3年生では、ぼっちだった

 

おそらく、反応しないから関わらないでくれてた

 

ママの機嫌を伺って育ってきたのも役に立ってたのかも

 

窓際の席で窓を開けて入ってくる風がカーテンを広げて

まるでカーテンのシールド

 

家庭ではお金の問題でママがヒステリー

パパの親兄弟のサラ金、パパが保証人になってあげてた

取り立ての派手なスーツ着たおじさんがうちに来た

子どもが出たからか、、不気味な笑顔

ママの悲痛のヒステリーが辛かった

ママがかわいそうだった

 

中学校のカーテンのシールドの中で

ぼっちが考えることは、しょーもない

ママを苦しめるアイツらがいなくなればいい

ぶっ殺してやろう

どうやってぶっ殺そうか、、考えた

はじめての殺意

 

でも考えてるうちに、完全犯罪でなければ、捕まる

殺人を犯せば、今後の自分の人生はどうなるのだろう

最悪の場面を想像した

 

役立たずな自分しかいない

 

考え直した

 

誰からも必要とされてない自分

必要とされる人になろう

 

ママの妹が社会人になってからナースになった

ママの妹はキョンキョンに似てて可愛い自慢のお姉さんだった

遊びに連れてってくれたり、憧れでもあった

 

3年生、進路をきめるとき

高校の衛生看護科があることを知った

ナースになろうかなって思った

人の役に立てる

きっと必要とされる人間になれるんじゃないかな

 

受験勉強を始めた

成績はよくない方だから、偏差値なんて全然届いてない

 

好きな教科と言っても化学とか興味のあることしか頭に入らなかった

 

英語は先生が何言ってるかわからなかった

日本人おばちゃん先生で発音どーなのって

日本語も、ん?ん?って感じだった

 

社会とか大嫌い、授業はつまらなかった

 

受験校は、出題は漢字が多かったから、そこにかけることにした

 

両親が創価学会で、生まれた時に入れられている

 

すがる所がそこにしかなくて

題目ってやつをだいぶ取り組んでいた

1時間「南妙法蓮華経」と繰り返し唱える

 

今考えると、瞑想になってたと思う

 

その家に生まれたから、創価学会に入っていた

それが当たり前

 

創価学会からみのママの苦痛も聞いている

アパート暮らしの頃、パパが熱心な学会員で後輩の面倒見もよく

後輩の洗濯をママがやらされてたそうで、ママから恨みつらみをよく聞かされていた

 

ママかわいそうと思った

 

なんで創価学会やってるの?