当たり前だけど、

私はいつも観ている。

私はいつも私を観ている。

私はいつも私を観ているし、私はいつも私に観られている。

観るものとみられるものはひとつだった。

私だけが在った。

 

虫を観察している時みたいに、ただ観ている。

こうなってほしいとか、こうならないとだめだとか、そんな思考はなく、ただどうなっていくのか?今どうなのか?好奇心いっぱいだった。

ただ観ていた。

判断なく、無邪気に観ていた。

観ている、ということに気づくと、そんな感じが強くなっていく。

観ている私に在ると。

どんな反応が起き、どんな思考が起き、行動が起き、、、。

どうなっていくのか?

何かがいいとか悪いではなく。

ただ、起きていることに好奇心が湧いてくる。

そうすると、不満が起きてくることさえ、面白くなってくる。

それは判断がないから。

無邪気に面白がって観ている子どものように。

神さまってそうなんじゃないかな?

神さまは無邪気だと思う。

ただ観ている時、神さまを味わっている気がする。