父と母と兄との四人家族。
自営だった父、母は専業主婦でしたが、社交的過ぎる二人は、とにかく家にいなかった

6歳上の兄は、私が物心ついた時は、遊びまわっていて、これまた家にいなかったのね

保育園だった私(当時、夫婦仲が微妙で、父は家を出ていなかったので、一時母は働いていたようです。)
お迎えはいつも最後。
先生と二人、なんてことがしょっちゅう。
夜は、なぜか一人になることが多く(これも子供の時の記憶なので、定かではありません。)
心の中で、お母さん早く帰って来て〜と毎日呟いていたかな。
だから一人遊びは上手でしたし、当時飼っていた猫がお友達。
暖房つけられない時、寒さを凌ぐのに猫を抱えて待ってるなんてことも

だからなのか、こんないい歳になっても、まだ寂しいという気持ちが湧き上がって来ます。
子供二人もいるのにね。
大人になっても満たされない気持ち、消化できない。
夕暮れになると、とにかく早く帰らなくちゃと意味なく焦る気持ちや、猫の代わりのニャンコ先生のぬいぐるみ集めとか、不安な気持ちを出さないようにと、何考えてるかわからない雰囲気を出すとか

お付き合いする相手には、この寂しさを埋めて欲しくて、でも、埋められないからと勝手に泣いたり拗ねたり
(相手の真意を知らずです。)
(相手の真意を知らずです。)弊害は沢山。
すごいですよね、幼少期のトラウマっていうやつ。
でもね、最近わかったの。
これは自分が作り出した幻影であると。
寂しいという気持ちは、私って可哀想と言って構って欲しいから。
あ、こういう思いを持つ人多いかもね。
みんな構って欲しい。
でも、寂しさは幻。
寂しいと言っても、誰かが埋められるものではないの。
寂しい気持ちを発信し続けると、思考は現実化するので、やっぱり寂しさを感じる事象に出会う。
そしてまた更に、寂しさを埋めてくれる人を探して、また泣いてみたいな。
二村ヒトシさんの本[なぜあなたは『愛してくれない人』を好きになるのか]の中に、『心の穴』という表現が出てきます。
まさにコレ

埋める作業は、究極的には親子関係なんだけど、
もしそれができないのなら、自分で埋めるしかない。
よく大人になった自分が、小さかった自分に会いに行って、もう大丈夫だよと抱きしめてあげてとかって言うでしょ。それですよ。
あ、その前に沢山泣いて、感情を出した方が良いかも。寂しかったよ〜、悲しかったよ〜とか。
その上で、小さい自分に会いに行く。
もちろん想像の中ね。
スピリチュアルをテーマに、なんとなく偉そうに書いてる私も、実はこんな感じ

だけど、この体験があるからこその気づきなんです。
みんな同じ。だから特別なんてないのです。


