みずま音楽教室
SOSを出すことは非常に大事なこと
特にA君のように『自分の意思』を表現しづらい生徒さんにとっては『報連相の大切さ』を伝え続けなくてはなりません(場合によっては自分発信での声掛けの具体的な練習もします)
そして『報連相の大切さ』は支援の有無を問わず、皆んなに通じる課題です
今どきのお子さんはどちらかと言うと『報連相』をしないまま0か100かの振り切れ方が多く、“自分の中でことを終わらせるケース”を多く見受けます
そんなA君が自分の出番直前で私に訴えたことはよほど不安であったと想像しますが、それでも以前の彼ならば訴えても良いということが分からず(又は知らず)そのままになってしまうパターンでした(自分の困り感に気づかない)
彼の不安感は理解した
でもなぜ訴えようと思ったのか
彼はこう言いました
「人に助けてもらうことを知りました。」
彼は
「だから先生にsosを出しました。」まで
答える思いでいたと思うのですが
言葉足らずになる所が
彼らしさだと思います(^^;;
この言葉を聞いた時、リトミックレッスンをスタートした時の彼を思い出し、そして不安な気持ちを抱えながら当教室のレッスンのドアを叩いてくださった“あの時のお母さま”のお姿がフラッシュバックし、目頭が熱くなってしまいました
胸を打たれました
感無量でした
レッスン後のお迎えに来てくださったお母さまにその日のA君とのやり取りや、彼の言葉をお伝えしました
お母さまは嬉しそうにはにかんでいらっしゃいました
そしてこんなお話をしてくださいました
「あの子は進学して変わりましたね。あの子に声を掛けてくれるクラスのお友だちがいるようで。(気にかけてくれるお友だちがいるそうで)勉強のことや提出物関係、学校生活で困った時は“この子に聞けばいい。あの子に聞けばいい。”と、良い意味で人に頼ることを覚えたみたいです。多分先生に言ったこともそこから来ていると思います。
先日も「コレはどうすればいい?」と主人に尋ねるあの子を見て(これまでそういった場面がなかった)驚きました。
幼稚園の頃からずっとあちこちの施設に行って支援を受けながらも、同じ組の落ち着きのないお子さんたちが目に入ると、“なぜうちの子だけこんなに頑張っているんだろう”とやるせない気持ちになって、悔しかったり辛かったりもしました。
でもあの子の成長に伴って療育や支援の頻度が減り、学校・私たち親・本人の話し合い合いの結果、『今の学校での特別支援は不要』となりました。
もちろんこれからもその都度支援は必要になると思いますが、今、あの子を育てることがこんなに楽になるとは思ってもみなかったです。
療育を頑張ってきてよかったと思います。」
お母さまのこのお言葉は、今必死に療育を頑張っていらっしゃる親御さんたちのある意味支えにもなると思います
外部療育はとても大事ですが、そこが全てとも言えません
利用者と支援者・サポートの方向性の相違もありますし←一部方針や実際の支援内容に疑問が過る放デイさんも多くありますし…
どこからが療育の影響なのか、純粋な本人の成長からなのか、ご家族やお友だちなど身近な人たちからの影響なのか…その細かな区分けは誰にも分かりませんので『外部療育の成果』と断言することは難しいと思います(ただ言えることは『療育は大事』ということ)
A君の場合厳しい現実と突きつけられた未就学時代に(人権侵害に当たるのでは?と思う不当な扱いも受け)保護者さまご自身が落胆され、さまざまな環境・人に対して不信感を抱かざるを得ない状況でいらっしゃいましたが、今の保護者さまの穏やかな表情とお言葉の重みには決して一言では言えない『親子の歴史』が詰まっています
人を育てることは容易ではありません
だからこそ人は人と関わらなくてはならないと私は思います
保護者さまの為にもお子さんの為にも
A君が発する少ない言葉の中にどれだけの人が関わり、そして小さなことから大きなことまで自分なりの選択を繰り返しながら日々を重ねて今に至るのかと思うと、感慨深い思いがよぎります
彼の成長に私がどれくらい関われているかは分からないけれど、それでも音楽を通じて、レッスンを通じて、生徒さんと関われることは本当に本当に幸せです
最近A君の保護者さまが仰った言葉で、再び胸を打たれました
「学校でもレッスンでもいろんなことが出来るようになって、“今度はどんな側面が見れるのか?”と思うと、あの子を見るのが楽しいです。そして羨ましいです。」
本人の成長は勿論ですが、保護者さまや携わる周りの人も“心地よさの波及”をしみじみと感じるA君の成長です


