モクシャしてからのアロギャディクシャで劇的な効果があり、症状が好転した方がいらっしゃったことは、昨日のブログ(*)でも少しふれました。
ですが、癒しはいつも劇的に訪れるわけではなく、ゆっくりな場合もあります。
病気でも、感情でも、苦しいときは、すぐにでもそこから解放されたいと思いますよね。
ですが、あまりにも深い痛みを感じてきた場合、そうは思っていても、癒され方が少しずつのときもあります。
口では一瞬で癒されたい、変わりたいと言っていても、潜在的にそれではショックが大きすぎて、薄紙を剥がすようにでないと、癒しすら受け入れられないときがあります。
私自身、沢山のそういう痛みを体験してきました。
どんなに、軽やかに、楽しく、簡単にできる方法がありますよと言われても、そうはできませんでした。
それを楽しいとは思えないのです。
惹かれないのです。
ワクワクしないのです。
そんな時は人の言うワクワクではなく、自分に優しい方法、ペースを大切にすることが、確実な癒しにつながりますし、楽しいです。
私は幼いときから、立てない、歩けないという思いを、いつも抱いていました。
出生時に股関節脱臼をしていたり、ハイハイから立ち上がって歩くまでが遅かったりはしましたが、決して立てなかったわけでもなく、歩けなかったわけでもありません。
ディクシャを通じて、その時の幼少期のトラウマを解消してもなお、その立てない、歩けないという思いは消えませんでした。
2~3年前。
全く別の、内側の感情を観ているときでした。
マイミクちかさんに「いざりの男性が見えます。過去生のようです。」と教えていただきました。
バガヴァンは人間は生まれてくるときに、花びらのように沢山の過去生を付けて生まれてくると言っています。
過去生から持越した宿題です。
私はちかさんが教えてくださったその過去生について、さらに観てみました。
その時、私(男性)は人々に精神的な在り方などを伝えていました。
ところがある日、それをうとましく思っていた人達に袋叩きにあってしまいました。
棒などを使って殴る蹴るの暴行を受け、私は二度とひとりで立つことができなくなりました。
杖をつき、片足を引きずり、人目を避けて暮らすようになりました。
その過去生を思い出したとき、あまりの痛みに、ディバインに頼んでも、一度では癒されませんでした。
まずは、具体的な身体の痛みの癒しがありました。
それからしばらく間をおき、またその過去生が浮上したときには、足の痛みとともに相手への憎しみ、恨みが出て、それを感じて癒されていきました。
さらにしばらくして、またまたその過去生が浮上しました。
そのときは、足の痛みとともに自分の心の葛藤、痛みを追体験して癒されました。
その後も、間をおいて何回か同じ過去生が浮上して、その都度、そのときに癒される分だけ、癒されていきました。
そして、つい数日前。
そのときの男性過去生が、身体の中で、何度も足を伸ばそう、立ち上がろうとしているのに気づきました。
私はその男性と意識を合わせていきました。
立ち上がりたい、歩きたい。
自分の足で歩きたい。
幼いときから感じてきた思いです。
ディバインに癒しを頼みます。
そして、ふと気づきました。
男性の最後の思いです。
「生きているうちに、自分の足で立って歩きたかった。」
その気持ちがわかったとき、男性はディバインに導かれて、身体から抜けて光に帰っていきました。
その男性過去生がともにあったとき、なぜか動けなくなる状況が起きていましたし、縛られている感がありました。
でも、その状況があったからこそ、成長できた部分はとても大きかったのです。
動けないからこそ、意識はいつも内側に向かうようになりました。
諦めない、それでも生きるという、不屈の精神が私を導いてくれました。
そして、段階をおった癒しのプロセスが、過去生からの宿題を優しく終らせてくれました。
その男性過去生が光に帰った今、私は立っている、歩いていると感じることができています。
プロセスは、必要で起きています。
今すぐ簡単に癒されないからと言って、嘆くことも自分を責めることもありません。
つらいかもしれませんが、そのことで、得ているものがあります。
成長していけている部分があります。
どうか自分に優しく、感じるものを感じ、プロセスを進んでくださいね^^。
*昨日のブログ:「ご先祖様とともに^^。 ~春分アロギャディクシャ~」
http://ameblo.jp/08heart-to-heart17/entry-11494694753.html
ですが、癒しはいつも劇的に訪れるわけではなく、ゆっくりな場合もあります。
病気でも、感情でも、苦しいときは、すぐにでもそこから解放されたいと思いますよね。
ですが、あまりにも深い痛みを感じてきた場合、そうは思っていても、癒され方が少しずつのときもあります。
口では一瞬で癒されたい、変わりたいと言っていても、潜在的にそれではショックが大きすぎて、薄紙を剥がすようにでないと、癒しすら受け入れられないときがあります。
私自身、沢山のそういう痛みを体験してきました。
どんなに、軽やかに、楽しく、簡単にできる方法がありますよと言われても、そうはできませんでした。
それを楽しいとは思えないのです。
惹かれないのです。
ワクワクしないのです。
そんな時は人の言うワクワクではなく、自分に優しい方法、ペースを大切にすることが、確実な癒しにつながりますし、楽しいです。
私は幼いときから、立てない、歩けないという思いを、いつも抱いていました。
出生時に股関節脱臼をしていたり、ハイハイから立ち上がって歩くまでが遅かったりはしましたが、決して立てなかったわけでもなく、歩けなかったわけでもありません。
ディクシャを通じて、その時の幼少期のトラウマを解消してもなお、その立てない、歩けないという思いは消えませんでした。
2~3年前。
全く別の、内側の感情を観ているときでした。
マイミクちかさんに「いざりの男性が見えます。過去生のようです。」と教えていただきました。
バガヴァンは人間は生まれてくるときに、花びらのように沢山の過去生を付けて生まれてくると言っています。
過去生から持越した宿題です。
私はちかさんが教えてくださったその過去生について、さらに観てみました。
その時、私(男性)は人々に精神的な在り方などを伝えていました。
ところがある日、それをうとましく思っていた人達に袋叩きにあってしまいました。
棒などを使って殴る蹴るの暴行を受け、私は二度とひとりで立つことができなくなりました。
杖をつき、片足を引きずり、人目を避けて暮らすようになりました。
その過去生を思い出したとき、あまりの痛みに、ディバインに頼んでも、一度では癒されませんでした。
まずは、具体的な身体の痛みの癒しがありました。
それからしばらく間をおき、またその過去生が浮上したときには、足の痛みとともに相手への憎しみ、恨みが出て、それを感じて癒されていきました。
さらにしばらくして、またまたその過去生が浮上しました。
そのときは、足の痛みとともに自分の心の葛藤、痛みを追体験して癒されました。
その後も、間をおいて何回か同じ過去生が浮上して、その都度、そのときに癒される分だけ、癒されていきました。
そして、つい数日前。
そのときの男性過去生が、身体の中で、何度も足を伸ばそう、立ち上がろうとしているのに気づきました。
私はその男性と意識を合わせていきました。
立ち上がりたい、歩きたい。
自分の足で歩きたい。
幼いときから感じてきた思いです。
ディバインに癒しを頼みます。
そして、ふと気づきました。
男性の最後の思いです。
「生きているうちに、自分の足で立って歩きたかった。」
その気持ちがわかったとき、男性はディバインに導かれて、身体から抜けて光に帰っていきました。
その男性過去生がともにあったとき、なぜか動けなくなる状況が起きていましたし、縛られている感がありました。
でも、その状況があったからこそ、成長できた部分はとても大きかったのです。
動けないからこそ、意識はいつも内側に向かうようになりました。
諦めない、それでも生きるという、不屈の精神が私を導いてくれました。
そして、段階をおった癒しのプロセスが、過去生からの宿題を優しく終らせてくれました。
その男性過去生が光に帰った今、私は立っている、歩いていると感じることができています。
プロセスは、必要で起きています。
今すぐ簡単に癒されないからと言って、嘆くことも自分を責めることもありません。
つらいかもしれませんが、そのことで、得ているものがあります。
成長していけている部分があります。
どうか自分に優しく、感じるものを感じ、プロセスを進んでくださいね^^。
*昨日のブログ:「ご先祖様とともに^^。 ~春分アロギャディクシャ~」
http://ameblo.jp/08heart-to-heart17/entry-11494694753.html