年明け元旦に起きた能登半島の地震は、未だ多くの人を精神的に肉体的に苦しめています。
熊本出身の私の家族は、熊本地震が起きた2016年の4月には、妻以外を除いて、3人が都内に、長男が関西に住んでいました。
そこへ熊本の地震が襲い来ました。
私は都内から関西空港へ飛んで、長男と共に車で、行こうとしましたが、熊本と連絡が付かないし、妻が何処へ行ったのかも分かりません。
それでも2日後には居場所が分かり、長男と夜中に高速を走り、早朝に妻のいる体育館に着きました。
息子を見た彼女は、駆け付けると、息子を抱きしめました。
怖かっただろうな、寂しかっただろうな、と思い、不憫で溜まらなくなりました。
さて、この時に起きたことが今でも忘れられません。
と言うのは、地震が起きたのは夜間で、それを知った私は直ぐに電話を掛けましたが、反応が有りませんでした。
何度も、電話を掛けなおして、繋がったのは翌朝のお昼近くになってからの事でした。
ところが、この数時間の内に、友人や知人から電話が何本も掛かって来ました。
大学の同級生や先輩その他を中心に5~6名ほど立て続けに掛かって来ました。
「よお、どうしてる?大丈夫か?大きな地震だな?」
といった感じの問い合わせというか、同じような電話が続くのです。
最初の内は、心配してくれているんだ・・・と感謝の気持ちも現れ、申し訳なさそうに話を聞いていると、中には「今度、飲もう」という流れも現れてきます。
女性の友人からも電話が有りました。ほぼ卒業以来、会ってないのに20年ぶりの電話です。
「大丈夫? いま何処にいるの?・・・」
それどころではありません。
「悪いけど、いま家族と電話が繋がらないんだよ。また折を見て掛けなおすよ」と言うとこちらから切りました。
そんな状況が5~6件も続けば、イライラも嵩じて、怒りに変わります。
それ以来、こんな経験をしたのだから、人様が恐れ、不運、怒りなどに襲われているだろう時には、直ぐに反応しない事を誓いました。
元旦にも北陸で言えば、福井と金沢に住む友人が心配になり、メッセージを送りました。
少し遅れて、メッセージでの返事が来て、無事だと言います。
「良かったよ。良かった。何か手伝えたら良いと思ってる。遠慮なく言ってくれ」とだけ返事をしました。