世界を変える皆様。ありがとうございます。

今日は特別な想いを込めて書き綴ります。



それは、さかのぼる事17年前。


私の父と母はあまり仲がよくなかった。


中学生に入ったころに、確信した。


私が高校を卒業する位から、ピークがきていた。


父の事業がうまくいってない。


高校出て、すぐに修行に入った僕は、朝から深夜まで頑張っていた。


同時進行で父ちゃんの事業がだめになり、多額の借金が残る。


そして、家族がバラバラになっていく、


父ちゃんからは、保証人やってくれ!と電話がなり、


母ちゃんからは、もういやだ、と電話がなり、


姉ちゃんからも・・・


電話越しにすすり泣くのが聞こえる。 


そして、大好きだったじいちゃんの死。


その時、父ちゃんのことで今まで聞かされなかった話もたくさんきいた。


だんだん怒りと憎しみがわきあがってきて、父ちゃんが許せなくなった。


その後4年間の修行を終え、一人暮らしをやめ、実家付近で働くことを選択する。


母ちゃんと姉ちゃんはすでにいない。 本格的にバラバラになる。


実家で父ちゃんと二人暮らしがスタートした。


そこからがまたきつかった。


その頃、明治から創業している老舗のふぐ料理やさんとレストラン、ファーストフードを


手がけている会社に勤めていた。僕は店長を任されていた。


その時僕にはある日課があった。


いつも夜中に帰るとまずは父ちゃんがちゃんと寝てるかどうかを確認することだった。


その頃、父ちゃんが朝出て行った後、頻繁に取り立ての電話を大半僕がとっていた。


家にもきた。


しばらくすると、家にかかってくる電話は一切取らなくなったが


きっと父ちゃんに対する色々な所からの圧力がだいぶのしかかっている事を、感じていたからだ。


言ってしまえば、自殺するのではないかという不安と心配があった。


ある日、僕が働いているレストランに地元のおばちゃん達がきていた。


僕のほうをちらちら見ている。


たまたま通った時、聞こえてしまった。僕の家の噂話、


『~あの子があそこの家の子だよ~』


きつかった。


その日、たまたま早く家に帰ると、父ちゃんは電話していた。こそっと聞いていると


どうやら親戚のよう、だいぶつめられている様子だった。


『息子は関係ない。それは勘弁してくれ・・・』


お前が払えないのなら息子に出させろ。そんな会話だった。


その夜、どうしようもなく大泣きした。


その日を境に、僕は笑顔が出せなくなっていた。


人を信じられなくなっていた。


不安、恐怖、あせり、やり場のない怒り、


完璧に人間不信になっていた。


その当時22歳。


18歳でありがたいことに夢に気付くことができ、走り出した。


がむしゃらだった。


辛いことがあるたびに、夢を確認した。


でも、前を向けないこともたくさんあった。


夢や生きていくことに対しての挫折感も幾度なく味わった。


辛いことがあると、必ず自分のお店のイメージをしていた


考えていると気がまぎれ、未来のお客様や自分の姿を思い描くとわくわくしてくるから・・


ある日、いつものように将来自分がするお店をイメージしてパースを書いていた。


カウンターはコの字型がいいなー


サーフボードやアロハシャツ飾りたいなー


この料理にはこんな食器がいいなー


店の名前は何にしよーかなー


店の名前?


18の頃から、行った事はないが、ハワイとアロハシャツが好きだった。


南国のイメージがいいなー


南の島のあったかい風、気持ちイイだろーなー。


よし、『南風』にしよう。


ん、なんか違うな。 やっぱり名前は大事だな、想いがたくさんつまった名前がいい。


その時はじめて、独立というがゴールだと思っていたその先、を創造し、振り返ってみた。


向き合った。


家族がバラバラになった経験がやっぱり大きい。


過去と向き合い、未来を創造した時に繋がった。


その時の気持ちは、一生忘れたくはない。


『こんな状況は、僕の代で断ち切ろう。未来の子供達のためにも、俺は家族を絶対に幸せにする』


悲しい顔をしている人をもう見たくない。お客様を元気にしたい。


そこで辞書を引いていた時に出会った言葉が 『OHANA』だった。


リロ&スティッチの影響で今は知っている人も多くなりましたが、


OHANAとはハワイの原住民の言葉で、大きな意味での家族。仲間。愛する人を指します。


これだっ!一瞬でビビッときた、今で言う織田ゆうじ的な感じだ。


これがきっかけで今のOHANAがある。


このとき初めて、


『自分のためだけの夢から、守りたい人や関ってくれる、支えてくれる大切な人達のため』


にするんだってことに気付けました。


独立がゴールだと思っていたその先がはじめて見えました。


10年前僕が作成した、まだ見ぬ、南風とOHANAのロゴマークです。


OHANAメンバーにも見せたことなかったね。

南風   22OHANAロゴ


今も僕の手帳に10年間はさんであります。


原点だからです。このときの気持ちを忘れないようにです。


これからもずっと肌身離さずもち続けます。


その後も色々ありました。今も終わってません。


けど、あきらめなくてよかった。


そしてこれが現実になり、今があります。


この想いから同時に生まれたキーワード


『元気・感動・幸せ』


これが今の経営理念にも繋がっています。


俺は自分の家族、仲間、関る人を幸せにしたい。


念にも近いこの想い、一生大切にしていきます。


最近ありがたいことに新人さんも社員さんも増えています。


今いるメンバーもそうですが、この想いを伝えたくて書きました。


また、22歳のこのときから、28歳までの6年間もそうとう紆余曲折しました。


これまでのことを書くと軽く本一冊は書ける位なので、少しずつ書いていきます。


今僕は幸せすぎるくらい幸せです。


たくさんの人たちが、仲間が、家族が支え、応援してくれたからです。


今では、父ちゃんを世界一尊敬しています。あまり逢える時はないけど、かけがえのない父ちゃんです。


何で、許せなかった父ちゃんをまた尊敬できたのかはまた書きます。


14年前から辛いことがあるとずっと言い聞かせた言葉、励みにしてきた言葉があります。


天国のじいちゃんからのメッセージです。


『辛いのはお前だけじゃない、お前は明日飯を食べれるだろう。世の中には、明日食べるものにさえ、困っている人がいる。生きたいって思っても生きられない人がいるんだぞ。生きたいって思った人が生きられなかった今をお前は生かされてるんだぞ。そんなことは小さいことだ!ハナクソだ!』


辛いときはこれを言い聞かせ、


『いいイメージをし続けろ、人生は思い描いた通りになる』


これが信じて励みにしてきた言葉です。


たくさんの人に感謝を教わりました。叱ってくれた人、励ましてくれた人、見守ってくれた人、


信じてくれた人、背中を押してくれた人、理不尽なことを要求してくれた人、応援してくれた人。


父ちゃん、母ちゃん、姉ちゃん、兄ちゃん、そして 最愛の妻と二人の子供たち、友人、仲間、


本当にありがとうございます。


父ちゃん母ちゃんが胸張って日本一自慢できる息子におれはなるからな~


一生この念いを胸に、突き進みます。




超、長文にお付き合いくださいましてありがとうございます。


OHANAの由来はここからはじまり、


OHANAが出来るまではまだまだつづく・・・


OHANAの伝説はまだ始まったばかり・・・




あなたにとって幸せの波が、まるで大津波の如く起きますように・・・波  伝説が今日も始まる。